「温故創新」211211 N967 伊波喜一

ご先祖の 喜ぶ姿 思いつつ 1年ぶりの 墓の掃除よ 

 コロナ下で1年ぶりに帰省し、瑞慶覧の墓掃除をした。

 さすが南国で、門扉の前に木が生い茂っている。まるで草が木に化けて、仁王立ちしているかのようだ。

 旧い沖縄の墓は、山あいに建てられている。亜熱帯の恐ろしいところは、草木の繁茂力である。年中暖かいので、あっという間に伸びる。

 極度な乾燥地帯では、草木が失われて砂漠化する。ところが、熱帯地域では草木は無限の生命力を与えられる。水さえあれば、光と栄養は無限にある。

 そんなこんなで、墓掃除の前に草木を切って刈り取るのに、2時間もかかってしまった。

 それから墓をきれいにし、水と酒と米を供えて、手を合わせる。上半身を虫に刺されながらも、無事にやり終えられて満足だ。

 考えてみれば、今このように生を全うできるのも、先祖あったればこそである。

 先代達の努力や思い、願いに背中を押されて、今の自分がある。決して自分だけの力で、ここまで来たのではない。

先代にどんな人がいて、どんな事をしたのか。その事績を知ることは、取りも直さず、自分史を掘り下げることである。過去の過ちを知り、繰り返さないことは、未来を拓くことにつながる。

 先祖に手を合わせながら、明日への決意を固める日となった。