「温故創新」240110 N1368 伊波喜一

映像と 音の文化に 慣らされて 考え深める 習慣消えて

 能登半島地震の死者が、200人を超えた。ご冥福を祈るばかりだ。

 SDGsの取り組みの一環として、紙の削減が現実味を帯びている。筆者も数種類、新聞や雑誌を取っているが、SNS上でそれらを完結しようと思えば、出来ない事ではない。人によっては、いくつものスマホを使い分けている。今後、スマホを手にしない人の割合は、さらに減っていくだろう。

 1台のスマホには、無限とも言えるぐらいの情報が詰まっている。目当ての記事を読もうとすると、関連した記事がいくつも並ぶ。AI技術が加わると、さらにそれが加速する。

 たった1つの項目に、ウィキペディア並みの情報が紐づけされる。情報量が増え、スピードが増し、通り過ぎていく映像に、私達はすっかり麻痺してしまっている。僅か1時間前の情報でさえ、記憶には残らない。情報の使い捨てどころか、情報にふれることもなく捨て去られてしまう。当然、内容を掴むことも深めることも出来ない。 

 これまでSDGsの取り組みは、木や紙、鉄や原油、土地や空気などの資源や資材の有限性と再生性に、着目してきた。大量消費や浪費をなくし、資源を有効に活かしていこうと考えてゆく。 

 しかし一方で、ネット空間でのSDGsについては、まだ論議の道筋も立っていない。ネット空間情報は、無機質で質感を伴わない。その膨大な情報の浪費をいかに防ぐか、取り組む時に来ている。