「温故創新」231218 N1351 伊波喜一

遠くより 感謝の言葉 伝わりて 日々創新に 背中押さるる           

 ぐんと気温が下がり、今朝の外気は3℃を指していた。寒いわけだ。

 福岡八女市の中村先生ご夫妻より、拙著へのお礼とお言葉を頂いた。いつもながら、温かい人柄が伝わってくる。筆者が気ままに書いているものを、丁寧に読んでいただけるだけで有り難い。にもかかわらず、お礼の言葉までいただき、恐縮するばかりである。

 ブログは日々に感じたことや考えたことを、書いている。限られた字数なので、ちょっと説明しすぎると字数が足りなくなる。かといって、文章を削りすぎると意味が伝わらなくなる。その塩梅に苦労する。 

 漱石とともに現在の日本語の文体を生み出した子規は、脊椎カリエスに苦しめられた。床に臥せる生活を余儀なくされながら、激痛と葛藤し、折り合いをつけながら日々を過ごしてきた。

 家人に毎日窓を開けさせて窓外を眺め、雨の日も雪の日も、変わらず日常の変化を観察し続けた。34年11月の本当に短い生涯で、2万5000句と2500首を読んだ。

 自由に動き回れない代わりに、定点観察を続けた。「山吹も 菜の花も咲く 小庭かな」や「をとゝひの(おとといの) へちまの水も 取らざりき」など、生への願望と死への達観を感じさせる句である。

 気も狂わんばかりの生への執念と、死の内観。そんな中、変哲もないように見える日常にこそ、子規の創作と生の実感があったのだろう。

 絶望的な状況から創新を綴り続けた天才に、励まされる。