「温故創新」230927 N1302伊波喜一

ガバナンス その根底に 人権の 自己変革に 先ず取り組まん    

 空に浮かぶ雲が高く、薄い。陽射しも心なしか、弱まっている。 

 人権やコンプライアンスをめぐる報道が、途切れることなく続いている。人の社会である以上、人権侵害はいつでも起こりうる。しかしそれにしても、多すぎはしないだろうか。忖度や見て見ぬフリが、これらの弊害を増長させたことは疑いない。

 平成になった頃、ある人から、一強の弊害について聞かされた。曰く。「一強になると、トップダウンで物事を押し進める。とどのつまり、あっという間に、全てがそれに呑み込まれてしまう」。

 ただ、当時はあちこちの組合が、まだ健在だった。忖度せず直言するので、組織や団体の長は、かなり手こずっていた。だからその指摘に半信半疑で、(本当に、そうかな?)と思っていた。

 ところが、実際にその通りになった。派遣社員や非正規職員など、大企業の使いやすい人材提供システムへと作り上げられてしまった。賃金を低く抑えられ、誇りを奪われ、命令に従うだけになっていった。

 政治家や企業の不祥事、芸能界事務所の人権侵害も、根っこは同じである。効率や効果と引きかえに、お金が動く。儲けるためには、多少のことには目をつぶらざるを得ないと、互いを納得させる。この風潮が、悪しきモデルとなり、社会全体のモラルを引き下げてきた。

 人の社会は、なぜ出来たのか。私達自身が何のための社会か、その目的と目標を、自らの頭で考えてみる時が来ているように感じる。