「温故創新」220516 N1033 伊波喜一

動乱の 祖国復帰を 乗り越えて 半世紀過ぐ 主体いずこに        

 雨が振り続いている。蒸し蒸しするが気温は低く、カーディガンが必要なぐらいだ。まったく、体調管理が難しい。

 祖国復帰で感じたことの一つに、治外法権がある。復帰前の沖縄は米国の法律が主で、基地内は治外法権だった。沖縄の扱いは占領下並みで、主体も何もあったものではない。主権など生まれようがない。

 それまでにも薩摩や唐の世にあって、大国に従属せざるを得なかった。アメリカ世にあっても、その構図は変わらない。焦っても現状は変わらない。しかし、それが長きにわたると、諦めの気持ちが強くなる。復帰前の沖縄には、そのようなところがあった。

 復帰後は関税措置も徐々に撤廃され、沖縄は本土の荒波に晒されることになる。本土資本に呑み込まれ、独自性を奪われそうになった。しかし、それが沖縄にプラスした。本土復帰は、沖縄ののんびリズムに警鐘を鳴らし、反骨精神をよび覚ましたといえる。

 戦前の沖縄は、貧困故に移民が多かった。現に筆者の祖父母世代は、ペルー、アルゼンチン、ハワイなどへの移民が多い。沖縄から飛び出て背水の陣を敷き、現地社会に溶け込んでいった。

 半世紀を経て、沖縄の画一化が気になる。言葉も文化も本土並みになったのはいいが、アイデンティティが失われてはいないだろうか。

 トウキョウに合わせていく必要が、本当にあるのか。その問いを発信出来なかったら、沖縄の独自性は無くなると筆者は案じている。