「温故創新」230730 N1243 伊波喜一

中年の 心に起こる 事みつめ 死にゆくことの 備えいかにと    

 関東は熱風にさらされている。沖縄は台風6号の影響で、大雨の予報が出ている。両極端の気象現象が、全国で起きている。

 日銀の展望が出された。これから公定歩合が上がると、住宅や自動車などのローンに影響が出てくる。物価の上昇に賃金が追いつかないので、暮らしを守る防衛策が続いていく。

 そのこともあって、昨今は子育て、教育、老後に備えて、老いも若きも蓄財に関心が高い。平均寿命が延びているので、生きることに関心が高まらざるを得ない。

 一方、いかに死んでいくかは、一時、終活が主流となった。確かに終活は身仕舞いの1つだが、自身の死後をどう考えるかといった問いの答えとしては、決して十分ではない。

 なぜなら、死の準備は生死観なくして考えられるものではないからだ。これまで蓄えてきた知識や経験、築いてきた人脈を、全て死後に引き継げるものではない。そこにはどうしても、死後の生命の神話とでもいうべきものが、必要となる。

 そう考えると、死にゆくものの生活設計は、中年の時からすでに始まっていると言えようか。自身の人生の終焉をどのように迎え、燃え尽きる瞬間まで生を燃焼させていくのか。

 現代人は過剰に、生に焦点を当ててきた。だが、生と死は表裏である。死の準備は生以上に時間をかけて、丁寧にイメージしていきたい。