「温故創新」210917 N882 伊波喜一

共有の 体験不足 空白化 コロナの影響 未来に何が     

 駅のホーム内の鉄枠に、カラスが飛んできた。鉄枠の上を跳ねながら、電車がホームに入ってくる前に、向こう側のホームに場所を変えた。上手いものである。

 コロナ下ではっきりしたのは、共有体験の不足である。

 人と人とは、集まればおしゃべりをする。食べたり飲んだりする。雀卓を囲んで牌を打つ。それをするなというのは、無体であろう。

 共有体験には、その時代を一括りに束ねる力がある。時代の空気を圧縮して、エキスを共有することが出来る。

 時代の雰囲気は、人が何を目指し、どう生きてきたかで形作られる。人は社会的生きものである。一人でいても、変化は起きない。人と関わることで、互いが触媒となり、変化を引き起こしていく。

 世代の中でその空気に浸りながら、時代の熱量を感じとる。音楽やファッション、映画やスポーツが記憶に残り続けるのは、そのためである。

 コロナが収束するには、まだまだ時間がかかる。

 気懸りなのはコロナ下の影響が尾を引き、共有体験がなくなることだ。若い世代の人達が時代の空気を感じずに生きたのでは、不幸としか言いようがない。それは取りも直さず、人との関わりが希薄であることの裏返しであるからだ。

  制約下の中だが、知恵を使わなくてはならないだろう。