「温故創新」210224 N677 伊波喜一

ギリシャ人 支配下にある エジプトで 2種類の文字 労働記録         

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 名古屋大学が、エジプトにある紀元前3世紀頃の採掘場遺跡を調査した。ギリシャ文字とエジプトの民衆文字の両方で、労働の記録を書いた岩が複数残っていた。

 岩があるのは、ナイル川から河口から約400㌔上流の「ニューメニア古代採石場」である。

 重労働の現場で、ギリシャ人とエジプト人が共生していたことが分かる。記録は紀元前253年から約30年間の採掘の記録で、両方の文字による記録が10年間続いている。

 この間、ギリシャ人とエジプト人の名前が混在していた。子どもを表す文字も残っており、作業に従事していたことが分かる。 

 この時代のエジプトでは、地中海沿岸の都市アレクサンドリアに多くのギリシャ人が入植し、経済や文化の中心地であった。

 採石場で取れた岩石は、需要が高かった。安定して供給するためには、現地人の理解と共感を得なくてはならない。

 採掘に従事した両者の名前を記録することで、労働に誇りを持たせたいと考えたのかも知れない。 

 労働の対価はお金だけではない。感謝と誇り、納得と共感を共有できてこそ、働き甲斐もあろう。