「温故創新」191227 N362 伊波喜一

大風に 竹林揺れ ゆらゆらと 洗濯物が 吹きとびそうな  

 暖冬だと思っていたら、朝方から急に大風が吹き初めている。神社の竹林が、遠目にもゆらゆらと揺れている。庭のサクランボの枝と壁がこすりあう音が、鈍く響いてくる。北国は大雪との予報だ。

 屋上屋を架すという。本来必要なことが軽視され、非効率な事柄が残り続けていることを指す。例えば、クリスマス商戦で商品を発注するのはクリック一本で済む。しかしその商品を自宅まで配送するには、人の手と時間とトラックなどの交通手段を必要とする。積み荷の仕分けから積み込み、配送は人の手を借りなくてはならない。配送の足であるトラックそのものの製造に至っては、ロボットやオートメーションの力を借りながらも、最終は人の手によって仕上げられる。このことは農業や漁業、教育や医療など、全ての職業に言えることである。 本来なら物を運ぶ人を増やすのが道理であり、先決である。いくら注文が増えても、運ぶ人が足りなければ現場は機能しない。現場の補強と補充をしなければ、早晩、機能不全に陥る。 労働賃金を引き上げ生活のゆとりを生み出す。それもなくして、どうして仕事への誇りと愛着が生まれてくるというのだろうか。