「温故創新」210828 N862 伊波喜一

自らの 心を放つ 鍵どこに 衣裏珠の例え 自身の内に               

 暑い日が続いているが、朝晩は過ごしやすい。もうすぐ8月が終わる。つがいのトンボが、風に揺られて飛んでいる。子どもの頃トンボが飛んで来ると、夏の終わりを予感した。夏はゆっくりと去っている。 

 アウシュビッツを生き延びたエディス・エヴァ・イーガー博士。施設内で生き別れになった父母を、あのガス室で亡くす。自らも、極度の栄養失調と過労で、瀕死の重体から九死に一生を得る。

 解放後、米国に移住した博士はPTSDに苦しむ。パニックを起こすこともあり、歳月が流れても心は解放されていなかった。

 転機はヴィクトール・フランクルの著書「夜と霧」を読み、彼と友情を結ぶようになってからだ。なぜ生き残ったのか、自分の苦しみからどんな意味を見い出せるのかと自問しながら、生きる意味を模索する。それでも、蘇生への道のりは長い。

 どこにいても苦しみは消えないが、困難に直面した時どう対処し、心に何を描くのかを人は選ぶことが出来る。仮に全てを奪われても、諦めるのか、立ち向かうのかを選ぶ自由が残されている。最悪の事態から、最高のチャンスに変えていくことが出来ると覚る。

 仏法の「衣裏珠(えりじゅ)の例え」は、自身の心の奥底には、自身も気づいていない宝が隠れていることを例えている。困難を受けとめ、乗り越えていく力は、自身の奥底に秘められているのだ。

 不信と憎悪を乗り越えてきた博士の生き方は、深くしなやかで強い。