「温故創新」210819 N853 伊波喜一

閣僚の 靖国参拝 同じ道 歴史問われる 風化を懸念          

 秋の風物詩であるトンボが飛んでいる。ここのところ、酷暑から豪雨、そして炎暑と続いている。

 残暑という季語は去りゆく夏の余韻を感じさせるが、この語が死語となる日もそう遠くないかも知れない。

 今年の15日終戦の日を含めて、5人の閣僚が参拝した。

 現職の防衛相、経済再生相、文部科学相環境相、科学技術担当相は、一体何を考えて参拝したのだろう。

 荻生田文科相は「自国のために尊い犠牲となられた先人に、尊崇の念を持ってお参りするのは自然な感情であり、(周辺諸国にも)ご理解いただけると思っている」と発言した。果たしてそうだろうか?

 言うまでもなく、靖国神社には先の大戦を指導し、東京裁判で責任を問われたA級戦犯14人が合祀されている。

 彼等の無謀で杜撰な計画と判断、決断の遅さが、国民に塗炭の苦しみを味わわせた。国民は国土も親族も財産も、全て失った。 

 サンフランシスコ講和条約でこの東京裁判を受け入れたが故に、日本は国際社会に復帰できた。近隣諸国も、日本の反省を受け入れ、結果として日本の繁栄が築かれた。その繫栄は、悲惨としか言いようのない、筆舌に尽くしがたい先人の犠牲の上に成り立っているものだ。 

 先人に尊崇の念を持つというのなら、亡くなった全ての人を弔う施設を創設すべきではなかろうか。