「温故創新」210610 N783 伊波喜一

なあなあで 済ました時代 過去の事 自分の言葉で 発信忘るな            

 まだ6月初旬なのに、日中は30度近くになる。朝は陽射しが眩しかったが天候が急変し、長く通り雨が降る。傘を忘れた人が、雨宿りをしている。 

 遅々としてはいるが、高齢者の接種が進んでいる。父も先日、1回目の接種を終えた。遅いなりに、実績を上げつつある。ところが、政府のコロナ対応は国民の批判に晒されている。ナゼか。 

 一番感じるのは、根拠のない説得だ。

 ワクチン接種の実績は上がっているものの、国民全体にゆきわたっているいるわけではない。

 それなのに、「五輪は安全に開催できる」という。ならば、どういう風に大丈夫なのか、国民に伝わる言葉で伝えれば良い。

 ところが政府の答弁を聞いていると、官僚の台本を読み上げている。そのせいか、言葉にエネルギーが感じられない。

 官僚の書いた文章はセンテンスが長い上に、言い回しが難しい。そのうえ誰が主体者でどう責任を取っていくかがぼかされていて、聞き手の心に響いてこない。これでは、メッセージ性が極めて低くなる。 

 そつなく自分を抑え周りを気遣うのは、日本人の良さである。

 しかし、政治家はパンチ力のある言葉で国民を奮い立たせなくてはならない。

 理性と熱情で語る人に、心を動かされない民がいるだろうか。