「温故創新」210117 N639 伊波喜一

大震災 阪神・淡路 歳月が 記憶と教訓 忘れず伝え                 

 昨日とは打って変わって、寒い一日だ。幸い晴れているからさほどではないが、曇っていると寒さが堪える。 

 阪神淡路大震災が発生して26年が経つ。6434人が亡くなり、市街が灰燼に帰した。

 筆者は当時仕事でグアムにいたが、テレビに映し出される現場の惨状に絶句した。

 早朝の午前5時46分に地震が発生したことが、被害を拡大させた要因である。が、耐震基準や防火・延焼被害を防ぐ対策がなされていなかったことも、被害に拍車をかけた。 

 筆者の知り合いは、地震の縦揺れで家が圧縮されたようにつぶれた。物を持ち出す暇などなく、身一つで避難し、難を逃れた。26年経ち復興は確実に進んだ。

 だが、家族や身内、友人を失い、家や地域を離れざるを得なかった人達の喪失感は、そう簡単に埋められるものではない。 

 知り合いの彼は今、実家の跡を継ぎ、僧侶として地元に生きている。本堂の復興にはいまだ至らず道半ばとのことだが、彼の表情が暗くないことにほっとした。

 兵庫の井戸敏三知事は「震災を乗り越え、力強く立ち上がってきた経験と教訓を生かし、先頭に立って歩みたい」と挨拶した。竹や紙で作った灯篭にメッセージを書き込み、市民が追善の祈りを捧げた。