「温故創新」190923 N320 伊波喜一

在りし日の 面影浮かび ひとしきり 小言さえもが 懐かしきかな

 台風17号の接近を気にしながら、先祖並びに母の墓参りを済ませてきた。予報では雨となっていたが、時折り陽が差し、お陰で用意してきた傘は使わずにすんだ。 早いもので、母が亡くなってから6年目になる。子育てもめどが立ち、これから少しは孝行らしいことが出来るというところだった。残された遺品には、孫の写真や手紙が一つ残らず、取ってあった。写真を見ては、思い出していたのだろう。日常のありふれたことや孫達に伝えたいことなど、母ともっと話しておけば良かった。 古語には「親は十人の子を養うが、十人の子は一人の親をも養えない」「孝行したいときに親はなし」とある。思い出す限りでも、母は自分のことは後回しにして、いつも家族のことを優先していた。その生き方は今流とは言わないのかも知れないが、母の生き方の根っこにあるものだったように思える。しかし、そのことにどれだけ思いが至っていたか、そして感謝の気持ちを言葉や態度で伝えていたか。そうと思うと忸怩たるものがある。 そんなことを思いながら、追善を祈った。墓の中から「まあ、肩の力を抜いて頑張りなさい」と母の声が聞こえてきそうだった。