「温故創新」231023 N1320 伊波喜一

孫来たる 遠い中米 コスタリカ 旅の疲れを 知るか知らぬか       

 前泊し、今朝成田空港に向かう。夜露で、車がしっぽり濡れている。

 午前6時半、娘と婿、孫の3人が入国出口から出てきた。10カ月ぶりに会う孫はすっかり大きくなっていて、喃語をしゃべっている。その成長の早さに驚く。一時もじっとしておらず、目も手も離せない。

 父親の関わりに比べて、母親の子どもへの関わりは数十倍もある。そのストレスたるや、想像に余りある。娘夫婦は共働きであるから、平等に家事・育児を分担したくもなるだろう。

 今は昔と違って、イクメンが当たり前になってきている良い時代である。婿も息子の保育園への送り迎えや風呂の手伝いなど、よくやっている方だと思う。確かに母親に比べて、その役割分担はあまりにも少ない。また、女性特有の細かい気遣いに欠けるのも事実である。 

 だが、生まれ持った男女の違いは、そう簡単には変えられない。男性は子育てに関わりながら、徐々に父親の自覚が育ってくる。女性のように我が子を授かった時から、母子一帯の感覚を持つことはないと言ってよい。子どもを育てながら、関わる回数が増え、家族で幾多の山坂を越えながら、父親の自覚が揺るがないものとなってゆく。

 子育てしながら、父親も母親も親としての自覚が自然に身に付く。やがて、自分達がどれだけ親から大事にされてきたかを知る。子育てには、愛情とそれに余りある手間暇とお金がかかる。その事を子育てに関わって、実感する。子育ては、最高の自己啓発である。