「温故創新」190817 N299 伊波喜一

トーカチの 祝いの席に 集いたり 笑顔溢れん 喜び舞うか

 今年は終戦から74年目となる。日本は先の大戦で、多大な犠牲者を出した。沖縄は本土決戦の捨て石として、米軍の圧倒的火力に対峙させられた。結果は瀕死状態となった。その爪痕は日本国内は言うに及ばず、国外にも多く見られる。愚かな指導者に引きずられた無辜(むこ)の民ほど、哀れなものはない。 この大戦で米国の艦砲射撃を逃げまどったのが、義父母の世代である。家族や親族の半数を失い、戦後の復興期を生き抜いてきた。家族や子ども達のために、自らが柱となり生きる糧を稼いだ。身を粉にしてという言葉通り、働きずくめの人生だった。そして、子どもや孫達を育ててきた。まさに想像を絶する苦労であったろう。 その義父母の米寿(ト-カチ)の祝いを、子まごが集まって行なった。踊り・三線と賑やかな会が続いた後に、感謝の言葉が添えられた。社会的には無名の一庶民であった義父母が、私達に残してくれた唯一のもの。それは「どんなに大変なことでも、必ず乗り越えられる。じたばたせず、機の熟するまで時を待つ。そして自分の力で粘り強く進む。そうすれば、必ずチャンスが巡ってくるさぁ」。 含蓄の深い言葉である。