「温故創新」240220 N1397伊波喜一

複雑な 対処迫られ 困惑す メンタルヘルス 組織を上げて

 気温が24℃にもなっている。サクランボの蕾が一気に膨らんだ。一ト月近い早い春の訪れに、木々の芽も驚いていることだろう。

 不登校や引きこもりの拡大が止まない。生徒や学生だけでなく社会人も同様で、有効な手立てが打てていない。精神疾患で休職した公立学校教員が、22年度初めて6千人を超えた。03年度が3千人だったので、20年間で2倍になっている。

 教員の場合、一般の労働者と異なり精神疾患の割合が高い。これは教員の仕事の特殊性と、互いを支え合う組織形態になっていないことが大きい。特殊性というのは、「子どものため」という名目の基準が明確でないことだ。どこまでやったら良いのか、具体的でない。

 教育目標に掲げられる「知育・徳育・体育」をとっても、これらを全て同時並行で達成していくのは難しい。知育なら知育に絞り、数学のどの分野をどこまで伸ばしていくのか、具体化していく必要がある。

 そこが曖昧では、望むような結果は導き出せない。ましてや、1人の教員でカバーできるものではない。それが、2点目の支え合う必要性である。教員の場合、生徒だけでなく保護者にも向き合わなければならない。今の保護者はマスで対応しても、満足しない。個別対応も加味せざるを得ない。これには本来、時間と人手がかかる。教員1人にしょい込ませて良いわけがない。もっと学校に人手を割き、組織対応していかなくては、教員の成り手はいなくなる。

 

「温故創新」240219 N1396伊波喜一

あちこちで 人権意識の ガラパゴス 売ればいいから 価値とモラルへ

 寝苦しいと思ったら、夜半に雨が降って湿度が高くなっていた。今朝は強風で、道端の木々が倒れんばかりに揺れている。花粉多飛也。

 エンタメ業界、自動車、保険、自民党派閥と、業種や業界を問わずモラルの是非が問われている。不祥事の多さと質の低さに、呆れる。感覚のズレで済ましていいことではない。

 私達が商品を選ぶ場合、そこに意義を見い出すからこそ選ぶ。例えば、バレンタインデーのチョコレートを買う時に、安くて美味しいことは条件の1つとなる。だが、それが就学児の労働搾取によって得られたのであれば、話は変わってくる。家族を養うために過酷な労働条件を呑まざるを得ないとしたら、そこに描かれたストーリーに共感などできない。それより、現地の労働環境を改善し、就学支援を後押しし、その子たちの未来を拓く手伝いが出来ることを望む。

 これが企業倫理である。今の世の中はこの倫理の根幹に商品の価値を置き、それを支援する。「安くて、良い製品」だけでは、共感を得られない。その商品の奥にある価値やモラルとセットで商品は買われていく。多少高くても、共感出来るかどうかがポイントとなる。

 昨今の不祥事を、ガバナンスだけで取り締まろうとしても難しいのはそのためだ。ガバナンスを支えるモラルが崩れていては、通用しない。面白いからとか数が多いからで事を決するあり方は、まさにガラパゴス思考である。その未来は、淘汰されゆくのみだ。

「温故創新」240218 N1395伊波喜一

アメリカの 労働運動 蘇る 労働改善 生きる権利と

 桜が芽吹いている。どうも、開花の時期を間違えているようだ。

 アメリカでは労働運動が勢いづいている。主にドライバー、医療従事者、ハリウッドの脚本家、自動車向上労働者など、様々な労働者が組合を結成し、ストを行った。

 民主党は過去10年間に、組合に優しい経済政策を取ってきた。インフラやクリーンエネルギー、製造業に2兆ドル(300兆円)程度の連邦予算を支出する。ただし、労働者の権利と賃上げは求めるが、会社全体の生き残りには無頓着という古いタイプの組合には、支持が広がっていない。

 07~09年の金融危機後の大不況とコロナ下で成人した若い世代では、組合を結成することに好意的である。労働者の権利を守ることが、社会の成長に繋がるという発想をしている。

 一方で、組合が事業のコストを押し上げ、雇用の機会を奪っているとする見方もある。最高裁判所は18年、公共部門の非組合員に団体交渉のコストを負担させる法を、違憲とした。また23年、ストを行った労働者に対して、雇用主は損害賠償の訴訟を起こすことが出来るという意見を出した。

 日本でもバブル崩壊後、派遣労働者の派遣切りが深刻化した。組合の後ろ盾のない一個人では、会社に権利を主張することはハードルが高い。庶民の声の届かない会社は、社会の灯台には成り得ない。

「温故創新」240215 N1394伊波喜一

生活の 質にこだわり 脱・成長  GDPの 本質問わん

 春一番が吹き荒れている。例年より半月ほど早い訪れとのことで、日中はYシャツ1枚でも汗ばんだ。夜半から朝方まで咆哮が続いた。

 日本のGDPがドイツに抜かれて、世界4位となった。この分では、5位のインドに抜かれる日もそう遠くはないだろう。

 ドイツの人口は8300万人で、日本の3分の2である。労働時間が2割ほど短いので、日本に比べて生産性が高い。日本は生産性が低く、付加価値に結びつかない仕事や調整が多い。 

 日本は1960年代、世界の経済大国の仲間入りをした。この時の基準が、GDPである。先ず生産性を高め、作ることが優先された。それを売って、買ってもらう。今のようにSDGsを念頭に置くことなど、考慮もされなかった。

 それが公害問題や大量ゴミなど、環境破壊へと展開した。先進諸国はGDPを拡大することで、国家予算を大きく獲得することが出来る。国内予算は元より、ODAなど海外への輸出にも強力な武器となる。

 大量生産し大量消費し、大量投棄する。この右肩上がりと呼ばれる経済活動に、どれだけの意味があるというのか。むしろ、あるべきものの寿命を丁寧に、最後まで使い切っていくライフスタイルこそ、美しい。この発想は、世界中の伝統工芸の中に見い出せることである。

 消費拡大を競うGDPより、内面の充実を活かす社会のあり方へ舵を切ることこそ、日本の目指す方向ではなかろうか。

「温故創新」240214 N1393伊波喜一

就活も 親子で決める 新世代 親の関わり どこまでゆくか 

 窓から差し込む陽が暖かい。1年で一番冷え込むこの時期に、こんなに暖かいのはどうしたものか。この夏の暑さが気懸りである。

 新規採用で、学生優位の売り手市場が続いている。そんな中、内定辞退や早期離職を防ごうと、保護者向けの説明会「オヤオリ(親向けオリエンテーション)」や、企業が保護者に内定の確認をする「オヤカク」が広がっている。

 昭和に就職した筆者世代とは、様変わりである。社会人経験のある親世代を相手にするとなると、企業側も生半可な対応では済まない。不備な点や曖昧な点は、たちまち見抜かれてしまう。

 また、パワハラなどのハラスメントも、新入社員の後ろにいる保護者の顔が浮かべば、自粛へと手綱を引き締めるだろう。

 「就活に関心がある」と答えた保護者は71%もあり、関心が高い。 ただ、保護者の同意を悪用されて、学生が離職の自由を狭められるようなことがあっては絶対にならない。

 世の中には、善意を悪用する輩が実際にいる。保護者にとって、我が子の就職は一大事である。就職に失敗すれば、子どもが自立出来ず、いつまでも親の負担が続く。その心理を突かれたら、保護者は一たまりもない。会社の望む方向へと、言葉巧みに誘導されないと一体誰が断言できるだろうか。だからこそ、保護者は我が子可愛さに盲目になるのではなく、客観的に判断する眼を持ちたい。

「温故創新」240212 N1392伊波喜一

飛び散りて 悪魔の兵器 クラスター 戦争の害 生命奪わん 

 暖冬だろうか。手袋なしで自転車に乗っても、全く平気である。

 「悪魔の兵器」と呼ばれ、非人道的なクラスター弾ウクライナ戦線で使われている。クラスター弾は、広い範囲を攻撃するのに有利と言われている。ロシアとの実力で圧倒的な差があるウクライナにとって、背に腹は代えられないということか。

 投下された親爆弾が開き、子爆弾が散らばる。その子爆弾が破裂して、中の鉄片が広い範囲に被害を与える。それだけ、殺傷能力が高い。さらに問題なのは、不発弾として地面に残った子爆弾である。これらはちょっとした刺激で爆発し、その地域の住民を巻き添えにする。 

 08年に調印されたオスロ条約では、生産・使用・移転が全面的に禁止されたが、米国・ロシア・ウクライナは参加していない。

 その米国がベトナム戦争中の1970~73年、B52からカンボジア南東部に大量のクラスター弾を投下した。推定、約3千万個とも言われている。

 その内、500万~600万発が、ベトナム国境に近い東部地域を中心に残る。地雷や不発弾による事故で少なくとも2万人が死亡し、4万人が負傷したと言われている。だがこの30年間で、まだ全体の1割弱に当たる44万個しか除去できていない。

 米国は自国がそのような目にあったら、一体どう感じるだろうか。無責任にクラスター弾を供与するなど、無責任極まりない。

「温故創新」240210 N1391伊波喜一

東洋と 世界をつなぐ 指揮棒で 謙虚な学び 普遍な個性 

 モッコウバラの芽が赤くなっている。春を待ちきれずにいるようだ。

 小澤を語るエピソードに共通するのは、努力家で意志が強い反面、小さき者や弱き者に対する情の深さであろうか。ともかく魅力的だ。 

  その語録からいくつか紹介する。「クラシックの発祥は西洋だけど、世界中誰もが平等の素晴らしさを享受できる。そこがクラシックの良さだ。実力がある人が切磋琢磨して生み出した音楽が、共通語として世界をつなぐ。世界的なオーケストラとの音楽を通じて、ぼくは理想的な民主主義のあり方を経験させてもらった気がする」。

 「音楽は緻密な芸術で、そこには厳格さがある。僕らはそれを基礎と呼んでいるが、それがなければ危険なことだ」。

 「戦後70年かけて『日本人は勤勉で、真面目で、信用できる』という国際的な評価を得た。この信用を元に、若い世代を育てなくちゃいけない」。その後2000年「小澤征爾音楽塾」、2005年スイスに「国際アカデミー」を設立する。   

 「斎藤先生からは緻密な指揮法を学んだが、今も僕にはそれがない。僕はこうあるべきだというのを決めず、その場で耳で聴いて教える方がいいんじゃないかと思っている。それでも、時々思う。もし、斎藤先生が僕の代わりにここにいたら、どういう風に教えるのかなって」。

 師匠の指導を尊敬し尊重しつつも、自分の個性を曲げてまで合わせることはしない。小澤らしいバランス感覚だと思う。                      

                                  合掌