「温故創新」240219 N1396伊波喜一

あちこちで 人権意識の ガラパゴス 売ればいいから 価値とモラルへ

 寝苦しいと思ったら、夜半に雨が降って湿度が高くなっていた。今朝は強風で、道端の木々が倒れんばかりに揺れている。花粉多飛也。

 エンタメ業界、自動車、保険、自民党派閥と、業種や業界を問わずモラルの是非が問われている。不祥事の多さと質の低さに、呆れる。感覚のズレで済ましていいことではない。

 私達が商品を選ぶ場合、そこに意義を見い出すからこそ選ぶ。例えば、バレンタインデーのチョコレートを買う時に、安くて美味しいことは条件の1つとなる。だが、それが就学児の労働搾取によって得られたのであれば、話は変わってくる。家族を養うために過酷な労働条件を呑まざるを得ないとしたら、そこに描かれたストーリーに共感などできない。それより、現地の労働環境を改善し、就学支援を後押しし、その子たちの未来を拓く手伝いが出来ることを望む。

 これが企業倫理である。今の世の中はこの倫理の根幹に商品の価値を置き、それを支援する。「安くて、良い製品」だけでは、共感を得られない。その商品の奥にある価値やモラルとセットで商品は買われていく。多少高くても、共感出来るかどうかがポイントとなる。

 昨今の不祥事を、ガバナンスだけで取り締まろうとしても難しいのはそのためだ。ガバナンスを支えるモラルが崩れていては、通用しない。面白いからとか数が多いからで事を決するあり方は、まさにガラパゴス思考である。その未来は、淘汰されゆくのみだ。