「温故創新」220901 N1102 伊波喜一

改革の 旗頭たる 巨星落ち 冷戦終結 核軍縮へ       

 30日、旧ソ連元大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏が亡くなった。享年91歳。85年54歳で、最高指導者のソ連共産党書記長に選ばれた。86年のウクライナチェルノブイリ原発事故を機に、情報公開(グラスノスチ)や言論の自由化にも力を入れた。

 旧ソ連ペレストロイカ(立て直し)し、自由主義と経済を取り入れようと試みた。国内では共産党による一党独裁の放棄などを進めたが、物不足など社会の混乱が広がり、支持が低迷した。

 91年11月のクーデター未遂を機に、エリツィン氏に政治の主導権を握られた。その年の12月に、ソ連構成国による独立国家共同体(CIS)が発足し、大統領を辞任。ソ連が崩壊した。

 その後、ソ連は欧米と肩を並べて発展するには至らず、西欧の後塵を拝さざる得なかった。経済的に抑え込まれ、社会の混乱がそれに拍車をかけた。西欧の足元にも及ばないことを、身を持って体験した。

 そのことが、ソ連の人達のアイデンティティに大きく影響したことは論を待たない。現ロシアのパワーポリティックスは、その反動ともいえよう。

 ゴルバチョフ氏の理想は、素晴らしいと思う。ただ、過去よりソ連が保ち続けてきたアイデンティティが、その理想を受け入れるまでには成熟していなかった。そこに政治と経済の混乱が加わり、崩壊した。

 今なら受け入れられたかも知れないと、残念に思う。  合掌

                 

「温故創新」220831 N1101 伊波喜一

巨星落つ 再生させん 人知れず 陰の努力に 人も組織も       

 24日、稲盛和夫さんが亡くなった。享年90歳。

 稲村さんは鹿児島大学を卒業して、27歳で京セラを立ち上げた。2000年にはKDDIを設立し、モバイルの普及に努めた。全て、今につながる技術の基礎を創り上げた。

 その間、83年には「盛友塾」を立ち上げ、若手経営者の育成を図った。84年には私財を投げ打って「稲盛財団」を立ち上げ、健全な会社運営を通して社会に貢献していくことを普及させた。

 圧巻は10年のJAL再建である。ブランド企業のJALが陥っていた「収支」について、徹底した合理化で負債を減らしていった。

 12年にJALは一部再上場を果たした。創業以来、伝統ある一流企業が潰れる中で、再上場を果たしたことは特筆に値する。

 その経営哲学の一つに「経営者自身が『心を高める』努力を怠ってはならない。経営者が自分の器を大きくすれば、企業も必ず成長発展を遂げていく」がある。

 また「人間として正しいことを追求する」は、シンプル過ぎてごまかしようがない。昨今の企業や政治家の不祥事を見れば、その卓見の正しさに襟を正さざるを得ない。

 稲盛さんは人様から意見を頂戴する時に、両手を合わせて笑顔で接していた。温厚で謙虚なその姿が、忘れられない。

 経営の究極は、やはり人格の陶冶にあることを実感している。合掌

「温故創新」220830 N1100 伊波喜一

有限の 財政ならば 引き締めを 入るを抑え 出づるを絞り       

 海外に送金する必要が出て、為替レートを見る。ついでに、各国通貨の金利も見る。それにしても、円の金利の低さには驚く。バブル崩壊から30数年も経つのに、低金利どころかマイナス金利である。一体、どうなっているのか。

 一番の謎は、国の借金である。GDPの2倍の1千兆もの借金を抱えているのに、国は潰れないと豪語する。本当だろうか? 

 今の日本は、歳出の6割しか税収でまかなえていない。それはそうだ。これだけの借金を抱えたら、その金利の支払いだけでも莫大なものとなる。

 個人に例えれば、負債の支払いが生活の中心を占めるようなものだ。他に必要なものに、お金を回せない。何よりも、過剰な借金に頼った生活をしているにも係わらず、感覚が麻痺していることが恐ろしい。

 低金利だから、借金をしても構わない。返済も低金利で組んでいるから、必ず返せる。果たして、その通りにいくだろうか。

 借金は返さないといけない。それも、出来るだけ早く。負債の塵も積もると、途方もない額となる。そのツケは、若い世代に確実にやって来る。若者の未来のために子育てや年金を充実させていかなくては、国の未来はない。

 財政は無限に非ず。出づるを徹底して検証し、財政のスリム化を図らなくてならない。政策転換の英断を、切に願う。

「温故創新」220829 N1099 伊波喜一

公文書 記録の重み 肝に滲み 米国の例 範となりうる      

 秋風が吹いている。朝晩は半袖では肌寒い。9月のお彼岸までは暑さもぶり返すが、季節は確実に秋へと移っている。

 米国ではトランプ氏が、退任時にホワイトハウスから公文書を持ち出したとして、米連邦捜査局FBI)から家宅捜索を受けた。大統領が公務で誰に電話をかけたかまで記録され、メモやメールも保存される。そしてそれらは、退任時に国立公文書記録管理局へ引き渡される。元大統領に対しても忖度しないFBIの毅然とした姿勢は、米国の良心といえる。

 あのニクソン大統領のウォーターゲート事件でも、事実を掴み真実を報道する新聞社の姿勢が支持された。権力からの圧力に抗して事実を追求する姿勢は、彼の国の特質といえよう。

 併せて、記録を残すことへの執念である。どんな記録も残し、それを公開する。冷戦時に沖縄へ核兵器を配備した記録も全て残し、一定の年限が来たら公開する。この徹底ぶりには、つくづく関心する。 

 翻って、日本はどうか。陸上自衛隊の日報隠しや森友問題の記録改ざんなど、あるべき記録が残っていない。

 事実を残さず、権力に媚びる。記録を軽視するということは、言葉を軽視することと同じである。それはまた、歴史を軽視する姿勢に通じる。

 連面と続く温故を尊重せずして、未来創新はないのだ。

「温故創新」220826 N1098 伊波喜一

偶然の 積み重ねこそ 必然の 出会いや出来事 意味あるものへと     

 新聞を取りに出ると、路上が濡れている。昨夜、雨が降った様子だ。どうりで、蒸して寝苦しかったわけだ。お彼岸まであと一月。季節の切り替え時が、待ち遠しい。

 ある意味で、人生は偶然の積み重ねと言える。振り返ってみると、あの日あの時にあの人やあの事と出会っていたから、今の自分がある。一つ一つの出来事はさしたる事ではないようでも、偶然が重なって思わぬ化学反応を起こす。

 それが束になり団子になった時に、人生のターニングポイントに遭遇する。目には見えないが、まるで大きな流れに乗っているような体験を、誰もが持っているのではなかろうか。

 人生は些細な日常の繰り返しである。目新しいことは、あまり起きない。それを意味づけるのは、出会いや出来事の偶然に、必然を見い出しているからに他ならない。それも、意味ある必然をである。

 還暦を過ぎて、日々の時間の過ぎ去る早さに驚きを禁じ得ない。今まで意識せずに時間と体力を使ってきた。

 しかし、それはあまりにも勿体ないことだ。夫婦で摂る食事一つ、交わす会話一つ、目的を持たずに過ごすのは勿体ない。今あることに今やることに、意義を見い出す。そこにこそ、意味ある人生が拓けてくるのだ。

 人生にどう意義づけするか、その鍵は自身の胸中にある。

「温故創新」220825 N1097 伊波喜一

廃棄物 出さない知恵が 生物の ゼロエミッション 持続可能の    

 小平駅前のあかしあ通り沿いに、柳が植わっている。炎暑にも拘らず、その緑が柔らかい。風に揺られ雨に打たれ、炎熱に焦がされても、緑の初々しさを失わない。凄いものだと思う。

 人を取り巻く樹木や虫は、人が生まれる前からこの世にある。天変地変を生き延びてきた歴史には、生きる知恵が詰まっている。

 チョウの幼虫は、食べられる草が限られている。だから、母チョウは幼虫が食べられる草を正確に区別して産卵しなければ、幼虫は餓死してしまう。そこでチョウは前脚で葉を叩いて傷をつけ、そこから出てくる匂い物質を嗅ぎ分けて、草を区別する。

 進化の過程で後から出てきたナミアゲハは、ミカン類の葉を食べる。そのナミアゲハに、先に出現したギフチョウが食べるカンアオイをあげる。するとナミアゲハは、カンアオイを食べる。

 これはチョウが種としての古い記憶を捨てるのではなく、引き継いでいることを示している。

 このように、チョウはヒトのような消費型の生き方ではなく、古いものを大切に繋いでいく生き方をしている。

 元来、生態系は廃棄物を出さないゼロエミッションである。比べて、人は無駄に消費し使い捨てている。いずれが地球環境にとって賢い生き方か、比べるまでもなかろう。

 人はもっと謙虚に、懸命に生きなければならないのではなかろうか。

「温故創新」220824 N1096 伊波喜一

反社会 団体見極め 一線を 票の欲しさに 眼曇りて    

 空が高い。雲の様子に秋の到来を感ずる。しかし、ここのところの湿度の高さはどうだろう。じっとしていても、汗が噴き出てくる。 

 「旧統一教会」をめぐって、その関係性が取り沙汰されている。旧統一教会は、その反社会性が明るみになってから、「世界平和統一家庭連合」と名称を変えた。異常な献金制度から目を背けさせるために政治家に近づき、選挙を支援する。その見返りとして、団体への批判や訴訟から目を背けさせる。

 それにしても、自民党を中心とする相当数の政治家が、団体と持ちつ持たれつの関係にある。由々しき事態である。岸田総理は旧統一教会側との接点を問われて、過去の問題点には触れず「今後は付き合わない」と答えた。果たしてこれを、答弁と呼んでいいものか。

 物事には須らく因果がある。どういう原因からその事が起きたのか。その原因を探らずして今後の抱負を述べても、説得力がない。

 政治家と団体との関わり方とその濃淡、見返りとして互いが何を得たのか。そして、被害者救済をどうしていくのか。

 少なくとも、総理はその概要をまとめ、党として総括し、一国の責任者としての矜持を示していく責任があろう。

 最後に一言。旧統一教会は、宗教に名を借りた反社会団体である。その搾取の実態を宗教に転嫁するのは、あまりにも無知である。この論理の飛躍に気づかなければ、問題の核心には到底至らない。