「温故創新」220820 N1095 伊波喜一

生きものは 持続可能と 人思う 生命の流れ 38億年    

 今年最後のブルーベリーの実を摘んだ。6月10日より2カ月もの間、朝の食卓を彩った。育つかどうかも分からない小さな苗木から、こんなに実を生らせるとは思いもしなかった。

 ブルーベリーの枝を切って水差しにし、それを鉢で育てる。そして地植えにする。上手く根づけば、育ってくる。

 そういうわけで、故郷の兄弟達に持ち返り、育ててもらっている。東京から持っていった枝から、ブルーベリーが枝を茂らせるのを想像すると、何だかわくわくする。

 35億年前に生まれたバクテリアは、新しい要素を少しずつ加えながら、私達のおなかで生きている。これはバクテリアもヒトも同じゲノムで出来ていて、同じ仕組みで生きているからこそである。

 変えずに伝えていくという流れと、次々と変わっていくという流れの両方を、生命は兼ね備えている。つまり、自然界に脈々と受け継がれてきた生命の流れに、ヒトが掉さすことは出来ない。

 そう考えると「自然を大切に」と言う言葉は、何だかそぐわない。

 38億年の昔から、ヒトは自然の一部として生き続けてきた。自然あってこそのヒトである。だから、自然のリズムを妨げず、その流れに身を置くことこそ大切である。

 持続可能な生命の流れに、ヒトもまた溶け込んでいくことが、今後は特に求められよう。

「温故創新」220818 N1094 伊波喜一

日本の 誇るべきは 人の手と 頭なるかな 蝶の舞いゆく   

 今朝の関東は最低気温が20℃前後と、爽やかである。庭のブルーベリーも、健気に実を生らせている。夏が瞬く間に過ぎていくようだ。

 世界的なファッションデザイナーの森英恵さんが、11日亡くなった。享年96歳。パリ・オートクチュール組合に加入を認められた、初めての東洋人である。

 故郷の島根から上京し、東京女子大学時代に終戦を迎えた。大空襲の下、ぎりぎりの日々を生き抜いたことが、その後の原動力となった。

 森さんが世界に活躍の舞台を広げたのは、ニューヨークのショーで日本の着物テイストを前面に出して、高い評価を得てからである。テキサスを拠点に世界へ発信し、本丸のパリに進出した。

 モチーフの蝶々には、日本と世界の架け橋となるようにという願いが込められている。風に揺らされているように見える蝶々だが、その力を活かして上手に舞ってゆく。風に竿ささず、さりとて流されず。そのような思いを、蝶に込めたのかも知れない。

 往年の口癖は「日本は資源が少ないが、人の手と頭が資源である。だから、もっと大事に育んでいかなければならない」であった。

 昨今の利己主義や経済主導に流されず、日本人が持っている良さを生かしていけば、活躍の舞台はいくらでもある。華やかな世界に居ながら、自身の原点を忘れずにいた森さんの笑顔が、思い出される。

 森さんのような素晴らしい日本人を、誇りに思う。

「温故創新」220810 N1093 伊波喜一

ウンケーに エイサーの声 近づきて 胸躍るなり 村の習わし   

 今日は沖縄のウンケー(お迎え)。ご先祖を迎える日である。先だって墓掃除を終え、墓に眠る先祖に挨拶をしてきたところだ。

  バナナやリンゴの果物、お酒・水・お茶の飲み物、白玉だんごにフーチバージューシーのご飯、中身汁に酢の物を供える。

 午後6時に家族で勤行をして、先祖を迎えた。今年は父の新盆でもあり、在りし日の姿が話題となった。リタイアしてからは、絵に描いたような晴耕雨読の生き方をした人だった。晴れの日は畑仕事、雨の日は小屋で道具の手入れと、ルーチンを淡々と繰り返す人だった。

 小生にも「畑仕事はいいよ。土いじりは、心が落ち着く」と言っていたが、当時はよく分からなかった。長らく商売をしてきただけに、食を育むことの素晴らしさや大切さを、伝えたかったのかも知れない。今なら少しは理解できただろうにと、残念に思う。

 夜からは隣り町の久保田エイサーと、村の島袋エイサーの太鼓と舞いを見る。どちらも若者の参加が多く、活気を感じた。

 島袋エイサーは拙宅の前を通るので、家の電気や街灯を全て点けて、迎えた。暑い中での行進は大変である。それ以上に、これまでの練習は相当きつかったと思う。それを支える大人たちの苦労も、並大抵のことではなかったろう。

 若者を育てることは、未来を拓くことと同じである。感動と感謝の一日となったことに、心からお礼を述べたい。

「温故創新」220804 N1092 伊波喜一

勇敢と 蛮勇の差を 考える 民主の捉え 彼我の違いか   

 最上川が氾濫して、即避難という状況にある。新潟から東北にかけて、記録的な大雨に見舞われている。一旦流れ出た水の勢いは、止めようがない。早目の情報収集が決め手となる。

 米国のペロシ下院議長が、台湾を訪問した。蔡総統と挨拶をし、台湾を見捨てないとのメッセージを強固に訴えた。これは、ロシアのウクライナ侵攻と中国の軍事威嚇を踏まえてのメッセージである。

 ただし台湾の場合、国交が断絶されているため、政府間の交渉が出来ない。そのため、議会が交渉の窓口となる。台湾の民主化支持は、米議会の超党派で構成されている。メッセージには米議会の後ろ盾があるのだ。

 一方、中国も建国100周年を控え、引くに引けない状況にある。軍事力を誇示し、台湾から南西諸島を牽制している。米国と日本がその挑発に乗るとは思えないが、偶発的な事故は誰も予想できない。万が一ということを、侮ってはいけない。

 加えて、レアアースなどの資源調達で揺さぶりをかけてくる。これに対するには、資源の確保が成されていなければならない。果たして日本は、その準備が出来ているだろうか。

 十分な準備と蓄えをせずに交渉に当たれば、自滅するのは日本である。一時的な感情で対米追従しないよう、慎重な判断と行動が望まれる。大国の論理に呑み込まれては、いけない。

「温故創新」220803 N1091 伊波喜一

デジタル化 プラスマイナス 天秤に 便利は不便 不便は便利   

 湿度があまりに高く、昨夜は寝苦しかった。2階の廊下は39度もあった。室温を28度設定にして寝たが、首筋に汗をかいて目が覚めた。1度下げて27度にしたら、朝まで目覚めずに済んだ。

 コロナ下の2年半余りで、オンラインやデジタル化が加速された。オンラインでのミーティングは、今では当たり前のようにされている。場所を移動することなく、距離の遠さを考えることなく、所を選ばない。何よりも、体全体をその場に運ぶことなく、顔だけを画面に移せばいい。つまり、半生リアル会議である。

 そうであるので、会議のリアル感が伝わりづらい。気をつけないと、伝達事項に特化した内容になりやすい。

 例えば、映画館まで出かけて映画を観るとする。

 映画の楽しみは、どんな服で出かけて、何を売店で買うかからすでに始まっている。ポップコーンや珈琲の入り混じった匂いが、上映のワクワク感を高める。直にブザーが鳴り、他の映画の紹介が流れ、やっと映画が始まる。このように、本編に入るまでの通過儀礼が映画の魅力を形作る。

 オンライン会議のように待ち時間を節約し、合理的に物事を進めることは大切な事だ。しかし、その待ち時間の中に、熟成の秘訣が詰まっている。便利すぎる生活は、熟成の旨味を無くしかねない。

 便利も高じると、かえって不便になってしまうのである。

「温故創新」220801 N1090 伊波喜一

民主主義 その価値観に 異を唱え グローバル化 地勢の変化   

 ブルーベリーの実が、急速に生っている。夕方は色づいていなかったのが、朝方にはもう色づいている。日中浴びた陽がエネルギーとなって、実を熟させているのかも知れない。

 トルコの仲立ちで、ウクライナのオデーサから穀物の輸出が再開した。積み荷は、トウモロコシ2万6千トンだとしている。ウクライナは、世界の穀物輸出量の30%を占める農業国である。侵攻前は、月間500万トンもの穀物を輸出していた。

 ロシアの侵攻で、グローバル経済が一気に危機に立っている。資源国であるロシアやウクライナからの供給が止まると、先進国は現状を維持するのに手一杯となった。

 途上国は、食料や医療物資などの供給そのものが途絶えてしまった。こうして、地域の分断が顕在化してきた。

 資源をめぐる覇権争いは、激化することが容易に予見される。日本でも、北方領土から南西諸島に至る領土争いが火を噴く。ロシアや中国のように、軍事力を前面に押し出して実効支配を推し進めてくる。

 そうなると、民主主義の持ち味である話し合いは隅に追いやられ、力と力がぶつかり合う修羅場を迎える。

 民主主義が後退すると、全体主義がむくむくと勢力を拡大する。対岸の火と眺めている日本が、その勢力に絡めとられてしまわないか、懸念している。 

「温故創新」220731 N1089 伊波喜一

炎天下 一人歩きは 考えて 自然の猛威 当たらず避けて   

 昼日中、車で走っていると道路が陽炎で揺れているように感じる。車内の温度は、70度近くにも上昇するそうだ。殺人的である。

 上さんと二人、姉のところへ寄って、調布へ向かっているところだった。小金井の東京学芸大学南門の横断歩道のあたりに、赤やピンクの布状のものが見えた。

 30㍍程に近づいたら、それが人であることに気づいた。高齢者が蹲るようにして、座り込んでいる。先行車が気づいて車を停め、倒れている人を歩道脇に移動させた。後続車は119番通報し、救急車を要請した。

 タオルを何重かに折って、そこにもたれさせながら状況を確かめた。どうも、横断歩道と車道との数cmの段差に足がひっかかり、転倒。顎を打ちつけたもののようだ。

 顎から血は出ていたものの、凝固してきた。脊椎や股関節、手首などに痛みがない様子から、骨折は免れた様子に見えた。本人の意識もはっきりしていて、救急車で病院へ搬送してもらった。

 今回幸いだったのは、炎天下の中、複数の人達が連携して救助、対向車の誘導、警察や救急車の応援を頼めたことだ。また、コロナ下で救急隊の出動が度重なっている中、比較的早い時間に救急車が到着したことだ。

 炎天下での事故は熱中症と隣り合わせであるだけに、感謝している。