「温故創新」221004 N1118 伊波喜一

矛盾せず 理性と信仰 成り立ちて 頭で考え 心を寄せ合い             

 金木犀の甘い香りが、漂ってくる。夏の暑い陽射しを耐え抜いて、実りの秋に黄金色の実と香りを運んでくる。季節を違えない草花の知恵に、舌を巻く。

 旧統一教会の一件で、宗教は恐いものだという認識が広がっている。かつてのオウム真理教のように、反社会的なカルト集団と捉えられている。果たして、そう簡単に結論づけていいのだろうか。

 宗教は理性の源である。宗教の本質は、包含である。全ての事象を我が一念に納めて、包含する。勿論、理性もである。その理性を極め尽くせば、合理という純粋さが残る。普遍の智である。極め尽くしたその先にあるのが、感情である。理性をともなったこの感情こそ、宗教の根本原理である。

 先人は「偉大なる感情には、偉大なる理性がともなう」と語った。換言すれば「大いなる感情には、大いなる理性が必要となる」ということである。

 多くの人のためにならんと思えば、人の不幸の上に幸せを築けるわけがない。それが、大いなる感情を発揮するということだ。残念ながら、旧統一教会にはその感情がない。だから、小手先の道具で人を欺く。万人の願いに供するための、感情が湧いていこない。

「信は理を求める。求めた理は信を深める」という。信を宗教、理を現代文明と置き換えれば、道理ではないだろうか。