「温故創新」210427 N739 伊波喜一

原稿の 一文字埋める 日日の 願い貫け 今を生きんと     

 早朝から、小鳥の鳴き声が喧しい。つがいで来ることが多いらしく、高い声・中ぐらいの声で、超高速にしゃべっている。  

 ここ2~3日の暖かさに誘われて、サクランボの実が赤く熟し始めた。熟する前から目敏くやってきた小鳥たちが、まだ青さが残る実を啄んでは、枝の下にボトボトと食い散らかしてゆく。こちらが近くまで行かないと、飛び去ってもゆかない。

 今朝、実をもいでいると、枝の奥から慌てて飛び去り、近くの電線にとまっていった。こちらがいなくなるのを待って、また実を食べにこようという魂胆のようだ。 

 小学生の時分、小刀で削って使った鉛筆。短くなるとホルダーにはめて使い、芯がなくなる寸前まで使い切るのを競ったものだ。 

 その鉛筆だが、1本の鉛筆を使い切ると50kmも書けるという。

 筆者も日記を書き続けて、半世紀を超えた。小学校時代の日記は、全て鉛筆書きである。

 ある時は罫線からはみ出し気味に、ある時は欄外にまで書いてある。毎回同じようなことを書いているようだが、その積み重ねが今に繋がっていることを実感する。

 こうして紡ぎ出した1本の鉛筆の日常風景が、未来を拓く原動力となってゆく。

 非情の鉛筆には、創造を膨らませる何かが秘められているのだ。