「温故創新」210106 N628 伊波喜一

名作を 読み返しては 喜びが これまで読んだ 宝箱なり         

 関東では明日までが松の内である。江戸時代に、小正月までを松の内と定めていた名残である。コロナ禍の影響で、今年は正月3が日を休業する店が多かった。 

 かつては藪入りと三が日が、唯一の休みだった。それがこの30年ぐらいだろうか。正月三が日も返上し、大晦日から働きどおしというスタイルが一般的になった。企業大手がそうであるので、零細企業も右へならえであった。 

 正月を家庭で静かに祝うという雰囲気が失せ、家庭の外で賑わうことがもてはやされた。その勢いは加速の一途を辿り、日本だけでなく世界中でその傾向が強くなった。そのピークを、コロナが広く静かに、柔らかく直撃した。

 目には見えねど、その破壊力は凄まじかった。人の目指すものとその方向性がはたして妥当だったのか、答えは明快である。目標もベクトルも、ズレていたのだ。人の勝手な理屈、下手な言い訳など全く通用しない。それほど、完膚なきまでに人は叩きのめされ、地に叩きつけられた。 

 目にも手にも取ることの出来ないウイルスに手玉に取られて、失ってみて分かることがある。

 人は急には変われないからこそ、人の歩幅を歩むことだ。それを温故とよぶ。創新はその先にある。