「温故創新」231203 N1338 伊波喜一

何のため 誰のための 長生きか 月々日々に 向上たらん          

 乾燥続きで肌がかさかさする。皮膚科で保湿クリームを処方された。

 1713年に出版された「養生訓」を読み返してみる。若い頃には退屈にしか思えなかったことが、今、実感しながら読み進む。

 益軒は長生きする理由を、「知識を得るため」と断言している。人生は、死ぬまで変化の連続である。そのことを考えれば、知識の更新が欠かせない。ここでは、知識を智恵と置き換えると分かりやすい。

 寿命の延びた現代では、60代までがむしゃらに働いてゆかざるを得ない。歴史や人生訓を学ぶ必要性は感じながらも、書物や資料にじっくり目を通すことなく、その日その日を駆け終える。気づいた時には、最晩年という有様だ。

 また、往々にして人は自らを顧みず、相手の非を殊更にあげつらう。自己の欲に流され、他者との勝劣の念に駆られる。他人からの相対評価に一喜一憂し、世間的な見栄を気にして落ち込む。

 特に印象深かったのが、「怒りと欲求は養生の大敵である」の一節だ。人は感情の生きものである。怒りは心を焼き尽くし、欲求は心を溺れさせる。その結果、気力と体力を奪い去ってゆく。

 貪瞋痴(とん・じん・ち=むさぼり・いかり・おろか)の三毒にまみれると、人は即座に心身の健康を病む。そうならないためには、一日に15分でも30分でもいい。一日を感謝で振り返り、明日への誓いを新たにする機ことが、健康長寿の近道だと感じている。