「温故創新」230905 N1280伊波喜一

安楽死 死を議論する 難しさ 倫理の規範 生命尊厳   

 空の雲は薄いが陽射しは強い。全国的に35℃近くまで上昇した。

 人生100年時代を迎えて、健康寿命とのギャップに苦しむ人が増えている。また、肉体的には元気でも、精神的な健康度にはそれこそ個人差が出ている。

 海外では難病や激痛、精神疾患認知症を患い、その苦しみを解放するために、安楽死を選ぶケースが見られる。

 カナダでは「死ぬ権利」の拡大に、懸念の声が上がっている。オランダでは精神疾患認知症の人の安楽死に対し、国民の70%が「妥当」との判断を示している。本人が意思を示せる状態であれば良いが、そうでない場合には家族の判断が求められる。

 安楽死を望む理由に、「家族に迷惑をかけたくない」「病気で治る見込みがない」などがある。人は亡くなる前に、色々な事を考える。 

 アドバイス・ケア・プランニング(ACP)は、望む医療やケア、大切にしたいことなどを、家族や主治医等と共有する取り組みであり、「人生会議」とも呼ばれる。

 筆者の父も生前、人工呼吸器装着や胃婁はしないという話をしていた。最期の時を迎えるにあたって、動揺しない家族はない。しかし、ACPをしておいたことで、戸惑いはあったが大きく迷わなかった。

 終活というと財産や持ち物の整理へと考えが傾くが、どう亡くなるかという人生会議を丁寧に持つことが、その本義ではないだろうか。