「温故創新」220325 N1019伊波喜一

パターン化を 避ける努力 常日頃 冷静沈着 資質高めん     

 昭和記念公園の桜が、真っ白な花びらを覗かせている。今年は梅の開花が一ヶ月近く遅れていたが、桜で軌道修正していくのかも知れない。季節の移り変わりは、通奏低音のように流れているようだ。   

 年度末は忙しい。えてして人は、多忙になると多角的思考が鈍り、多くの問題を処理することが苦手となる。処理順の軽重がつけられず、混乱する。また物事を、単眼で見がちとなる。

  本来1つの出来事は、多くの要因が関連している。その因数を分解していくには、単眼では埒が明かない。

 右か左かという単純思考ではなく、複眼的に対応していかなくてはならない。1つの対象にのみ注意を払っていては、迫りくる危機に対応できない。

 アングロサクソンゲルマン民族は、この感覚が優れている。日本人は、何かというと目の前の火の粉を払うのに全神経を集中させてしまう。熱しやすくて、冷めやすい典型とも言える。

 しかし、その場限りの熱量を高めるより、トータルでの熱量分散が必要だ。多角的に物事を捉える意味は、そこにある。

 平時から培ってきた思考や論理は、大事に継承していく。それが文化であり、一国の土壌を深く耕す契機となる。

 ウクライナ危機を一過性の出来事と捉えるのではなく、複眼的に物事を洞察してゆくことが不可欠であろう。