「温故創新」200504 N428 伊波喜一

 

母逝きて 丸6年の 年月が 思い出すのは 手作りの味噌

夜半からの雨が小雨に変わり、上がった。気温が幾分下がり、ひんやりとする。 

小さい頃、喘息持ちだった筆者は体が弱かった。梅雨の季節の湿気や朝晩の寒暖差が刺激となって、夜になると咳が止まらなかった。

民間療法もいろいろ試したが、効果が出ない。横になっていると苦しいので、起きて胡坐をかく。

そんな時、母は筆者が眠りにつくまでずっと背中をさすってくれた。 そういうこともあり、母はかなり栄養に気を使っていた。肝汁など精のつくものを料理し、食べさせてくれた。「薬より食べ物」が口癖で、先ず体力をつけ体調を整え、薬の力を借りるのは最後という信念を貫いていた。そのお陰で、健康な体になれた。 

その後、乾いたタオルで寒風摩擦を続けたところ症状が改善され、咳が治まった。 

学生になり、親元を離れて生活をした。不規則な生活の上に、栄養状態も悪い。案の定、喘息がぶり返した。

ある日、下宿に母から小包が届いていた。中には、父に手伝わせたという手作り味噌が入っていた。

豚肉とニンニクの粒が丸ごと入っている。見てくれは悪いが栄養たっぷりの味噌。 一筆箋には「これで栄養をつけなさい」とあった。 

今日は母の祥月命日。七回忌である。