「温故創新」220422 N1026 伊波喜一

納骨の 四十九日 瞬く間 母の隣に 8年待つか

早朝から陽射しが強い。富士の麓まで車を走らせ、父の納骨を済ませた。3月初めに亡くなって、あっという間に四十九日が過ぎたような気がする。

 納骨堂の祭壇に骨壺を安置し、合掌する。それから、個人用の仏壇に骨壺を移動する。仏壇には、母の小さな骨壺が置かれていた。琉球の壺屋焼に納められた、母の遺骨である。

 母は父の分まで、骨壺を用意してあった。何とも準備のいい人だった。父とともに墓に入ろうと、お揃いの骨壺まで用意していた。父の面倒を見ようと思っていた筈が、父に先立つ事になった。母の小さな骨壺を見ていると、父の来るのを待ちわびていたように思えた。

 母のに比べると、父の骨壺は大きすぎるぐらいだ。ところが、不思議なことに、父の骨壺が下の段に置かれることで、母の骨壺のすわりが良くなった。考えてみたら、母が亡くなって、8年も経っている。先々の準備が良かった母にとって、8年間は長すぎる時間だったのかも知れない。それにしても、母は忍耐強かった。

 父が亡くなり、ふと寂しい気持ちが沸き起こってくることがあった。だが、母の骨壺を見た時に、父は帰るところに帰ったのだということを、実感した。二人は結婚して60年を越していた。夫婦にしか分からないことが、きっとあったに違いない。

 2基の骨壺が仲睦まじく並んでいる様子に、何だかほっとした。