211008 N903 伊波喜一
生存の 厳しい原理 生き物の 飽食文化 悔い改めん
妙正寺川の緩やかなカーブを右手に折れて、脇道に入る。環状7号線を一本入ったこの道が、いつもの通勤コースである。家と家が立ち並び、狭い道路がカーブしている。
地図上では分からないが、実際に歩いてみるとかすかな上り傾斜となっている。夏の暑さには閉口したが、今のこの季節は歩いても汗をかかない。いくらでも、歩いていけそうな気分だ。
その脇道に入った途端、二羽の小鳥がもみ合って落ちてきた。よく見ると、キジがスズメを組み敷いている。
爪でスズメを抑えつけ、身動きできないようにしている。爪の間からスズメの頭が見えていなければ、何だか分からないぐらいだ。
その方向へ筆者が近づくと同時に、キジはスズメを掴んだまま飛び去って行った。恐ろしく素早い動作である。
同時に、握力である。あの細い足のどこに、それだけの力が秘められているのかと思う。
コロナ下であろうと無かろうと、自然界の生存競争は厳しい。エサが手に入らなければ、自らが飢える。環境が厳しかろうが、生き抜くには自らの力でエサを取るしかない。残酷なようだが、キジの行動は自然界の流れに沿ったものである。
果たして、人間の行動はどうあるべきものなのか。飽食に慣れきった生活でいいのか、一考を要するだろう。