「温故創新」200707-2 N474伊波喜一

人間の 住む世界だけ 特別と 他の生きものに 笑われそうな 

 雨が降りやまない。大分では一月分の雨がわずか半日で降った。河川が溢れ、洪水となり、一帯を呑み込んでゆく。自然の猛威である。

 人間圏が拡大し、ヒトは自然を感じなくても暮らしていけるようになった。

 上水道が完備し、井戸水を釣瓶で汲みあげて飲むことはなくなった。夏の盛りに釣瓶を揺らさずそうっと汲みあげた水の冷たさや、喉を潤す水の美味さを味わうこともない。 

 また下水道も完備し、汲み取り式のぼっとん便所で用を足すことがなくなった。便所の底の大便の匂いや、肥溜めの強烈な匂いを嗅ぐこともない。

 蚊帳を吊ることもなくなったし、ハエ取り紙も今では全く見ない。身近に自然が転がっていて、うまく付き合ってきた日本人。それも、今では死語になりつつある。 

 今の日本人にとって、自然といえば遠出して触れるものという感覚である。山間にダムを築き、河川に護岸工事をして、水を流す。昔ながらの土手はコンクリート堤に形を変え、雑草や虫も姿を消した。

 ヒトにとって合理的でないと思われたものは、全て作り変えられた。しかし、合理は天災の前にあまりにも脆かった。 

 これまでの人の営みが本当に正しかったのか、自然に耳を傾ける時ではないだろうか。