「温故創新」190203 N258 伊波喜一

節分の 豆に当たりて 何思う 我が胸の内 鬼住まぬかと

 今日3日は節分、鬼達には少々気の毒な行事である。明日は立春、19℃の予想だそうで、この暖かさはどうしたものだろう。一足どころか、二足も早い春(はる)である。 その暖かさとは裏腹に世相を覗くと、届かない声があまりにも多い。野田市で起きた児童虐待事件然り、勤労統計資料の杜撰な調査然りで、大人のモラルが疑われるというより、モラル喪失そのものである。経済力や科学技術力をアップするより以前に、日本社会の著しいモラル低下こそ、不安材料の最たるものである。それが聞く力の欠如として現れているように感じる。 さて、近くの公園の桜はまだつぼみをつけていない。この暖かさなので(ひょっとして)と淡い期待をしたが、その面影はない。しかし不思議なもので、時が来ると桜は細い芽を膨らませ始める。物言わぬ桜であるが、そのタイミングを外すことはない。桜は全生命力を傾けて春に芽吹き、春を飾る。だからこそ、天の声を聞きもらすことはないのだ。 私達がどこかに置き忘れてしまった聴くことの素晴らしさを、今春も桜は思い出させてくれようか。