「温故創新」210324 N705 伊波喜一

依存症 ネットにはまり 抜け出せず 国の対策 本腰入れなん            

 陽気が揺り戻っている。初夏のように暑くなったかと思うと、一転冬に戻る。体調には、くれぐれも気をつけてゆきたい。 

 ネット依存が深刻だ。個人でのめり込む場合もあれば、大勢で取り組むオンラインゲームなどもある。

 加えて、コロナ下でネット配信に頼り切ってしまいがちである。スマホを覗く時間も、ますます長くなる。 

 19年と20年を比べた大阪府の調査でも、小中高校生は軒並みネット依存の可能性が増えている。

 アンケート項目は8項目で、その内5項目以上当てはまる場合を、ネット依存の疑いありとしている。 

 項目内容は「制限や中止を試みたが、うまくいかないことが度々ある」「時間を短くしようとするとイライラする」「ネットで人間関係を台無しにしたことがある」などだ。

 自分の意志ではどうしようもない実態が、浮かび上がってくる。 

 実際、ゲームやネット依存を指摘した親に暴力をふるい大けがをさせたり、ゲームの課金代欲しさに自宅から金品を持ち出したりと、社会問題化している。

 自らの意思で物事を決めらず、ゲームに支配される。主体性を投げ出せば、人として生きる目的が失われる。

 生命哲学を置き忘れ経済優先できたツケが、警鐘を鳴らしている。

「温故創新」210323 N704 伊波喜一

ネットでの 授業好評 コロナ下で パレスチナでは 日本語盛ん            

 宮城県沖で震度5強の揺れがあった。地震の規模はマグニチュード6.9と推定された。10年前の東日本大震災の余震と考えられており、用心が必要だ。 

 国際交流基金カイロ日本文化センターが、パレスチナ自治区を対象にネットでの日本語教育に取り組んでいる。

 新型コロナウイルス対策で、これまでの対面授業からオンライン授業へと切り替わった。

 そんな時に、ただでさえ外部との交流が制限され孤立しがちなパレスチナへの支援が実現した。 

 同センターではアラブ人教師らが、エジプト人に日本語を教えてきた。コロナ下で昨年7月から、オンライン授業に転換した。

 教師派遣が難しいパレスチナでも、ネットなら遠隔授業が出来る。また少ない予算でも、この文化事業を継続できるメリットがある。

 授業は今年1月から、ヨルダン川西岸ナブルスやジェニンの若者ら93人に、2週間に1度の無料授業を行っている。 

 パレスチナ自治区では、日本のアニメ「進撃の巨人」などをきっかけに、日本語に興味を持つ若者が多い。

 軍事などのハードパワーで、世界を席巻する時代はもう終わった。自国の文化的特性を活かし、発信し続ける。

 この地道で陽の当たらない作業に、次代の先駆もあるのだ。

「温故創新」210322 N703 伊波喜一

サイバーで 研究センター 狙い撃ち コロナ拠点に 530万件            

 週末の雨で、寒さがぶり返した。どうやら、冬が舞い戻ってきたらしい。冬物を全て仕舞わなくて、良かった。 

 国立国際医療研究センターは、国内の新型コロナウイルス感染症対策の拠点である。

 その拠点が2020年に、530万件のサイバー攻撃を受けていたことが分かった。

 攻撃の大半は初歩的なもので、不正なサイトへ誘導するメールや、コンピューターウイルスを添付したものだった。 

 しかし、昨年後半からは「エモテット」と呼ばれる攻撃が目立つ。これは過去のメールを引用し、取引先や知人からの返信を装ったものだ。攻撃元は、中国やロシアが大半だった。

 昨年、欧州連合(EU)の欧州医薬品庁がサイバー攻撃を受け、ワクチンに関する情報が盗み出される被害を受けたことは記憶に新しい。今後セキュリティ対策が、より厳重に行われることになるだろう。 

 今や政治・経済・軍事・宇宙開発に至るまで、サイバー攻撃の的にならない分野はない。

 米国、中国、ソ連のサイバー開発力に、日本は遠く及ばない。資金力と人材の投入に加え、長期ビジョンの有無が勝敗を決している。

 彼等大国の長期戦略と周到な準備、機会の創出と果敢な攻めから、日本は学ばなければならない。

「温故創新」210321 N702 伊波喜一

水戸地裁 第2原発 差し止めに 安全性の 実現疑問            

 週末の雨は花粉を洗い流す。中国大陸から飛んでくる黄砂も、洗い流してくれる。土中に滲みこんだ雨が、土を柔らかくする。その分、雑草も顔を出す。 

 東海第2原発は安全性が確保されていないとして、茨城県など9都県の住民が水戸地裁に運転差し止めを求めた。

 水戸地裁は「実現可能な避難計画や防災体制が整えられているというには、ほど遠い」として、運転を認めない判決を言い渡した。 

 今回の判決では、仮に原発で事故が起きた場合、近隣の住民90万人余りをどう避難させるのか、計画と体制の不備をついている。 

 原発事故は施設の安全性だけでなく、放射能汚染を避けなければならない。茨城県などは「広域避難計画」を策定したが、14市町村中策定済みは5市町村にとどまる。

 難航している理由の1つが、避難の手段だ。

 住民は原則、自家用車で避難するが、高齢者はバスで避難する。2万人をバスで避難させると400~500台のバスが必要となる。しかし、その見込みは立っていない。 

 この10年間、原電の発電量はほぼゼロだ。再稼働は命綱であろう。

 しかし、計画さえも立たない状況下で、万一事故が起きた場合の損失は計り知れない。 

 リスクヘッジをどう避けるか、賢明な判断を願いたい。  

「温故創新」210320 N701 伊波喜一

胚盤胞 iPSの 細胞を 不妊治療の 改良期待            

 東京でも桜の開花が寄せられている。急に暑くなったり冷え込んだりと、一日のうちでも陽気が目まぐるしく変わる。

 その中、白色の花弁を開かせて、桜は春を招き寄せる。その健気さに心洗われる。 

 iPS細胞の培養方法を工夫し、受精卵が分裂を重ねて成長した胚盤胞に似た状態に出来たと、米テキサス大などが発表した。

 この疑似胚細胞は、ブラストイドと呼ばれる。本物とは違い、子宮に移植しても赤ちゃんには成長できないとみられる。 

 現在、不妊治療の体外受精を改良する研究には、余った受精卵が使われている。ただし、提供される数が少なく、有効な実験結果が得られていない。 

 人の受精卵を使う研究では、胚盤胞に成長後、臓器ができ始める受精後14日までに培養を中止する国際ルールがある。

 ブラストイドを利用すれば、難病の原因遺伝子の解明や治療法、新薬の開発に役立つという。 

 医学と倫理の関係は、簡単ではない。

 生命体は物質で成り立っているが、そこには感情や思考が伴っている。両者は不二の関係にあり、倫理哲学の伴わない医学は暴走する。逆に医学的知見を持たない倫理は、ドグマと独善に陥る。 

 生命哲学が求められている所以は、まさにここにある。

「温故創新」210319 N700 伊波喜一

利用する 使える物を 褐炭で 水素プラント 豪で稼働            

 日中の暖かさに気を奪われて薄着でいると、夕方から冷え込んでくる。持ち重なりがしても、やはり上から一枚はおる物が必要なようだ。

 豪州南東部ラトローブバレーで、低品位の石炭「褐炭」から水素を製造するプロジェクトのプラントの本格稼働を記念する式典が行われた。プロジェクトには同国のエネルギー企業の他に、日本からも企業が参加している。 

 褐炭は乾燥させると発火しやすく、輸送が困難である。そのため、豪州ではそのまま放置されていた。

 眠っている資源(褐炭)を蒸し焼きにして水素を取り出し、液化して輸送できれば、燃料自動車や発電などで使用できる。

 プロジェクトが商用規模となれば、年間22万5千トンのクリーンな水素を製造できる。 

 液化水素を海上輸送する船は、川崎重工が世界初の専用運搬船を製造する。

 プラントで出来た水素をマイナス253℃に冷却。体積を800分の1に縮小し、神戸の貯蔵施設まで輸送するという。 

 重化学工業における日本の技術力の蓄積は深い。資源の特性を損なわず、活かし、安全に処理する。日本らしく技術に誇りを持ち、誠実に仕事を積み上げてゆけばよい。

 プロジェクトの今後の発展を、応援してゆきたい。

「温故創新」210318 N699 伊波喜一

健康な 体に育ち 感謝する 寄付活動を する人ありき            

 目には見えねど、草花は春に向かって伸びる。人の爪や髪もこれまた伸びる。

 ヘヤードネーションは、病や事故で頭髪を失った人に髪の毛を寄付する取組である。1年近く髪を伸ばし、カットしたものを寄付する。

 知人に、その活動をしている人がいる。

 やはり、1年以上髪を伸ばし、腰まで届いた髪をバッサリ切った。大事な髪だけに、その心構えが映える。 

 筆者は、3月末に献血に行く予定だ。

 コロナ下で、献血する人は激減している。学校や企業などでの献血活動が自粛され、血液が集まらない状況が続いている。

 筆者のような個人献血では、焼け石に水という気がしないでもない。

 だが、小さな積み重ねも、積もれば山となろう。ここは(自分ぐらい)と思わず、出来得る限り協力していこうと思っている。 

 日本はかつて、地域や自治体、会社などの共同体意識が高く、ドネーション(寄付)文化は育ちにくかった。

 しかし今、共同体意識も伝統も失われつつある。昨今は雇用形態や治安の悪化が影響し、地域や雇用主との関わりが淡白になっている。 

 共同体には所属せずとも、興味のある事を出来る範囲でならやれる。

 ニッチにドネーションを広げていくには、人の目を気にしてはいけないのだ。