「温故創新」200301 N391 伊波喜一

資本主義 バブルはじけて 何残す 物・金よりも 人の育成

 コロナウイルスによる突然の休校で、近くの公園では中学生達が鬼ごっこに興じている。リラックスした表情で、突然のサプライズを戸外で楽しんでいる。この様子が子ども本来の表情なのだろう。

 公園のサクランボは、この暖かさで蕾が一気に開き始めた。赤みがかっていた蕾の中から、白い花弁が咲き出でる様は不思議である。今いる処で咲く時を違えず、時分の花を咲かす。周りの喧噪に振り回されず、欲ばらず、自らの使命を果たしていく。物言わぬ草花だが、ヒトがどこかに置き忘れてしまった感性を、思い起こさせてくれる。 世の中は今、経済不況・社会格差・軍事衝突・民族紛争など、絶え間ない修羅場の中にある。そこに、コロナウイルスの直撃である。誤情報やあおり情報などで疑心暗鬼になり、正しい情報が伝わっていかない。マスク・トイレットペーパー・日用品の買い占めなどは、オイルショック時を思い出す。 資本主義の理想は、必要なときに必要な物が手に入ることだ。人はこの事を当たり前だと思って生きてきた。しかし飽満に慣らされ、欠乏を忘れた文化は非常時に脆い。時分を忘れず、危急の存亡に全力を傾けていきたい。