「温故創新」210615 N788 伊波喜一

資本主義 先にあるもの 誰のもの 未来の他者に 贈らんかなと             

 降ったり止んだりの日が続いている。高湿度のせいか、アリがやたらと出てくる。

 玄関や外側にアリの巣ころりを置き換えてみるが、今のところさしたる効果は見られない。持久戦に持ち込まれそうだ。 

 コロナ下の生活も、かれこれ2年半近くになる。当初はインフルエンザのように、一定期間経てば収束するものと考えられていた。

 ところが、変異株が次々と発生するに至って、見通しの甘さに気づかせられた。 

 空間的にも、中国の武漢からあっという間に世界中に広がった。感染を水際作戦で食い止められると思っていたが、そんなレベルではないことが判明した。 

 自然界に対する人間の浸食度は、限りなく高い。気候変動はおろか未知のウイルスとの接触は、これが最後ではない。むしろ、接触の始まりと考えるべきで、未来への責任が問われる。

 資本主義では貨幣が投資され、利潤が貨幣として回収される。その貨幣が回収されることなく、もっと多くの貨幣を得るために再投資されていく。

 ポストコロナではその貨幣を、誰のために残すかが問われる。

 これまでのような一企業・一国家という狭い視野ではなく、「未来の他者」という世界市民へと発想を切り変える時が来ているようだ。