「温故創新」220304 N1011伊波喜一

共存の ための理論が 宗教の 人と人との 心繋ぐか 

 今週末からは天気が下り坂との予報だが、確かに肌寒い。春物への衣替えを考えていたが、まだ早そうだ。今朝は外気温が3℃だった。 

 ウクライナへのロシアの侵略を見ていると、人の心の奥に潜む魔性をコントロールすることがいかに難しいか分かる。

 ナゼ、宗教が生まれたのか。人と人とが分かり合うには、一程度の規模でコミュニケーションが取れないと理解出来ない。お互いの言い分が交わせなければ、理解しようとすら思えない。

 加えて、愛別離苦の共通体験がなければ、相手に共感することは出来ない。それが人種や民族の壁を越えて広がるには、人の特性である共感性を敷衍化した宗教へと辿り着く。 

 科学は人間の能力を最大限にまで高め、人を神の領域にまで押し上げた。そして人智の理屈で、この世の全てを支配できると錯覚させた。しかし、過剰な欲望をコントロールする術を身につけなければ、この世は一強支配に陥ってしまう。

 宗教の役割は個人の救済は元より、人類の過剰な欲望を防ぐことにある。仏法の依正不二は、人と環境とは一体であり、互いが影響を受け合っていると説く。だからこそ、人類全体が互いを認め譲り合うことが、生を長らえると考える。

 今後の世界は、仏法の掲げる普遍性に目を向けていかなくてはならないだろう。

「温故創新」220303 N1010伊波喜一

デジタルの 二元論を 乗り越えて 間(あいだ)の考え 理と非理つなぐ 

 昨日は久しぶりの大雨で、乾燥が和らいだ。それにしても、日中は暖かい。庭のサクランボの芽も、膨らんできている。どうして、春の先駆けが分かるのだろう。不思議でならない。 

 コンピューターは、0と1だけで計算する「2進法」で出来ている。同じように、デジタル社会も0か1かの発想で出来ている。

 一方、西洋近代の思想も、2元論で出来ている。そこには、曖昧さや間(あいだ)の発想がない。確かに、2元論は計画的で力強い。あれもこれもと膨大な資料をまとめ、進める時に威力を発揮する。

 しかし、世の中は理屈通りにいくとは限らない。むしろ、いかないことの方が多い。2元論の恐さは、YESかNOに選り分けるため、どちらともいえないという選択が出来ないところにある。

 例えば、間違えた方向に向かって行った時に、アナログは軌道修正が出来る。その時点でストップし、軌道を修正すれば良い。ところが、デジタルは方向がちがっていると、極端へと振り切ってしまう。

 ウクライナへのロシアの軍事行使など、問答無用の略奪行為である。いったい力づくで領土を奪われて、納得する国民があるだろうか。このような理(ことわり)さえも、分からないのが恐い。

 2元論の理屈に染まってしまうと、生活している人の感情や思いを掬い取ることが出来なくなってしまう。況や哲学や宗教をやである。

 体制変革を叫ぶ前に、自身の生命変革・人間革命こそ必須であろう。

「温故創新」220301 N1009伊波喜一

退院の この日待ちかね 2週間 口ひげ伸びて 父帰るかな

 朝晩の寒さも、少し和らいできた。ここのところの暖かさで、モッコウバラの芽も先が赤らんできている。立春も間近である。

 誤嚥性肺炎で入院を余儀なくされた父が、退院した。固形物が全く取れず、水さえも飲めない。自分の唾液でさえ、誤嚥する恐れがある。それで、点滴から抗生剤と栄養剤を摂ることにした。万が一その効果がなければ、さらに期間が延びる。

 点滴の効果がなければ、そのまま逝ってしまうことも有り得ると、主治医からは説明があった。このコロナ下で、病院は面会が出来ない。そうなると、入院が永久の別れということも想定された。

 そんなことを思いながら、父を迎えに行った。

 2週間ぶりに見る父は、口ひげこそ伸びているものの、意識がはっきりしていた。手も足も胸も骨と皮になっているが、子ども達や嫁、孫が迎えに来たのを、大層喜んでいた。

 ホームに戻ると、職員から歓声が上がった。皆さんに大事にされている様子が感じられて、家族としてとても有り難かった。

 仏典には「死は一定」とある。生あるものは、誰でも死を迎える。その生と死は連続しており、死は明日への活力を養うための眠りのようなものであると捉えている。

 父の胸をさすると、すぐに眠りにおちた。その穏やかな表情から、親族仲良く、協力していくことを誓った。

「温故創新」220224 N1008伊波喜一

人間の 自由3つ 遺伝子に 動く・集まる 語る自由を

 朝晩の冷え込みが激しい。昨日は市の大規模接種会場で、3回目のコロナワクチンを打った。打ったその日は、特に腕が腫れることもなかった。が、翌日には微熱とだるさが顕著だった。

  これで37℃台ともなれば、体に相当堪えることだろう。

 人間は社会を作る上で、3つの自由を手にしてきた。自由に動く自由、集まる自由、語る自由である。

 コロナ下で、この3つの自由が不自由となった。代わりに、SNSなどのツールで代用している。仕事でもプライベートでも、SNSを使って自由にコミュニケーションを図っている。

 フォロワーが何千人、何万人、何十万人となれば、大いにコミュニケーションがはかれると思ってしまう。

 ところが、意思の疎通をはかるには、集団の規模は150人程度までが望ましい。それ以上になると、人と人との関わりが薄くなり、互いの実像が見えにくくなってしまう。 

 SNSは便利な反面、一方通行でデジタルである。伝達するには、もってこいの手段だ。しかし、人の思考や感情はアナログである。

 迷ったり、悩んだりすることが、人の特徴である。ならば、その人の特性を尊重する方法は個人に光を当てていく以外にない。

 1人の人間の実像を描ける社会こそ、人が捜し求めてきた社会ではなかろうか。

「温故創新」220222 N1007伊波喜一

貫くか 退くのかの 瀬戸際で 米ロ交渉 出方慎重

 3月が間近だというのに、寒い。今朝も公園の土に、霜が降りている。寒暖差に気をつけないと、体調を崩す。体を冷やすのは、それこそ万病のもととなる。用心用心!

 ウクライナ情勢が緊迫している。ロシアは米国とNATOの弱体化を目論んで、様々に揺さぶりをかけてきている。

 ロシアにとってもNATOにとっても、ウクライナは橋頭堡である。ウクライナがどちらの陣営に傾くかで、世界の軍事勢力図が塗り替えられる可能性が高い。 

 特にロシアは敵陣営と直接向き合うことを裂け、緩衝地帯をつくる習性がある。あれこれと理屈をつけ、ウクライナに干渉している。 

 ロシアがウクライナに侵攻すれば、米国はロシアの国際金融機関の取り引きを凍結するとしている。この姿勢をどこまで貫けるか、決意と覚悟を固めなければ足元を見られる結果となろう。ウクライナを失えば、NATOの影響力が失われる。それは、自由主義の後退となる。 

 逆にウクライナ自由主義諸国に加われば、その豊かな経済力にロシアの信用が失墜する。どちらの陣営も、引くに引けない瀬戸際に立たされている。それにしても、大国間の間で翻弄されるウクライナ国民こそ、悲惨であり哀れである。

 自陣の繫栄のために、他国の人命を踏み台にする。大国のこのエゴイズムこそ最大の元凶であり、糾弾されなければならない。

「温故創新」220218 N1006伊波喜一

学力で 測れる力 限りあり 学び続けん 人生大学

 陽はまだ昇っていないが、随分と戸外が明るくなった。畑が一面の霜で覆われているのが、くっきりと分かる。それにしても、朝晩の冷え込みはまだまだ厳しい。

 子ども達が学業を終え、家計の見直しをしてみる。すると、教育費の占める割合がいかに高いかが分かる。これも、大卒者でないと高収入を得る仕事に就けないという現実があるからだ。

 成人における大卒者は現在50%で、この先20年変わらないと言われている。今の20~30代は大卒家庭で生まれ、自らも大卒になっている。

 同質集団としか交わらないため、同年代の半分が非大卒であることを実感できていない。社会のインフラを支えるエッセンシャルワーカーや、農業・工場勤務の実態を全く知らない。

 そのため、社会を維持するための重要な仕事を担っていることへの、敬意が薄い。

 高名な地理学者でもある牧口常三郎先生は、昭和初期に既に「半日学校制度」を提唱している。学び・働くことで、生きた学問をすることをねらった。働くことで自身の未熟さを知り、学び直す。「生涯学習」と連動させていくことで、社会をも向上させることが出来る。

 この卓見を、学歴分断と呼ばれる今こそ見直してゆきたい。実学の価値に目を向ける時、社会の尺度も変容していくのだ。

「温故創新」220217 N1005伊波喜一

動物は 福祉に貢献 いや増して 倫理原則 動物にこそ 

 突然の夕立で、乾ききった空気が潤った。こう乾燥状態が激しいと、皮膚がかさかさして痒い。静電気も凄い。

 動物福祉や動物の権利に、光が当たってきている。現代の工場式畜産や動物実験の陰惨な状況を、現代人は当然の事として受け入れている。ブリーダーの中には過度な交尾をさせて、動物を使い捨てていることもある。

 動物には感情がある。どころか、動物の情に触れて蘇生することがままある。動物は物ではない。だから感覚や感情、意識を持つ動物を苦しめることは、倫理的に許されない。

 動物の存在を恣意的に歪めるのはスピーシージズム(種差別)である。動物は低知能で感情をともなわず、人の意のままになるという発想だ。それがレイシズム(人種差別)やセクシズム(性差別)へと発展し、強制収容所での強制労働などに転化した。

 これら歴史の証明は、人の愚かさと傲慢さの現れとも言える。

 EUの基本法であるリスボン条約では、「感覚を有する存在」である動物の福祉を配慮する義務が定められた。動物を保護する様々な施策や動物愛護法の改正など、食肉の制限や産業構造の転換は今後避けて通れない課題だ。

 本気で取り組む一人が声を上げることで、その勇気と熱は伝播する。動物に優しい環境は、人にも優しい国となろう。