「温故創新」220927 N1116 伊波喜一

曖昧な 空気に流れ 国葬を 議論尽くさぬ 政府に警鐘            

 9月も終わりに近づいてきている。朝晩は空気が乾いていて、肌寒い。日中は蒸して、半袖でも暑いぐらいである。

 安倍晋三元総理大臣の国葬が、日本武道館で行われた。安倍元総理の国葬については、賛否両論あった。賛成の声は自民党関係者から先ず起こった。長きにわたる政権運営の点からも国威発揚の点からも、称賛に十分値するとの評価である。

 逆に反対の声は、国葬閣議決定されたのみで、国会の審議を経ていないというものだ。 狙撃されて非業の死を遂げたのだから、安倍元総理の死が強烈に印象付けられたのは仕方のない事だ。

 官邸は当初、民主主義に対するテロの脅威と位置づけていた。しかし、事実が次々と出てきて、安倍氏と旧統一教会との濃密な関係が明るみに出た。その事実が、自民党全体に深く広く浸透していた。反社会的団体との関係を糺さず、クサいものに蓋をする。

 そのような事実があるにもかかわらず、安倍元総理がはたして国葬に値するかと言えば、疑問符が付くのも無理はない。

 本来ならば、このことを英国のように議会で論を闘わせなくてはならない。元来、空気に流されやすい日本人だからこそ、あえてその事を明確にしておく必要があった。

 死者にムチ打たない慣習の日本で、今回、国葬反対派が異を唱えたことは、結果的に道を誤らないことに通じると感じている。