「温故創新」220612 N1055 伊波喜一

小さき実 その懸命に 命萌え 小麦の豊穣 不二の大地と    

 日中の暑さは格別である。ちょっと戸外を歩いていただけで、皮膚がピリピリと痛む。午後からは一転、突然の雷雨である。空は暗く、スコールのような雨が地面を叩く。横殴りの風も吹きめくり、小枝が折れる。その後は何事もなかったかのように、晴れて暑さが戻ってきた。全く不思議な天気である。

 ウクライナの穀倉地帯は収穫期を迎え、小麦がたわわに実っている。まさに、黄金色である。稲穂の緑も美しいが、小麦のそれはまた魅力的だ。熟した味わいとでもいおうか、からっとした気候の中から生まれてきた穀物の所以であろう。

 この小麦を植え、育てていくには、どれだけの手間と根気がいったことだろう。古語にも「食は命のみなもと。食を延ぶるは命を延ぶるなり」とある。米も麦もあの小さき一粒に、命の源を集中させて芽吹き、育つ。一粒の小麦がその内在する生命力を限界まで発揮して、伸びる。大地を踏みしめ、踏み固め、空に向かって伸び続ける。

 その神々しいまでの生命力を、金麦(きんばく)と表する。言い得て妙である。ロシア軍はその金麦に、火をかけた。豊穣の実りを、無残にも焼き尽くした。

 人は環境の支配者ではない。小麦を育て、その命をいただき、生を全うできる。この依正不二の考え方にこそ、生命尊重の基があるのではなかろうか。