「温故創新」220107 N987伊波喜一

だんだんと 年賀の習慣 無くなりて 手間暇かける 文化続くか      

 予感が当たり、昨日は一面雪に覆われた。夜間はマイナス3℃まで下がり、今朝は路面がパリパリに凍っていた。いつもなら自転車で通う道も、転ばぬよう・(転倒に)巻き込まれぬよう、時間をかけて歩いた。おかげで、3倍もの時間がかかった。東京でさえこうなので、北国に暮らすのは容易ではない。

 いただいた年賀状を、読み返している。結婚や出産、進学や就職にまつわる嬉しい話題がある。一方、怪我や病気、逝去の報せなど、悲しい便りもある。悲喜交々の短い文面から、1年間の様子を窺い知ることが出来る。

 ただこの数年で、年賀状仕舞いをする方が増えている。還暦を超えて、古希を節目に筆仕舞いをする。

 これまでの来し方を振り返り、自身の慣習を断捨離する意味もあろう。また、これまでの人間関係を、整理する意味もあろう。いずれにしても、自身の生き方を見つめ直すという点で、残された時間をどう使うかを意識している方が増えたように感じる。

 筆者の若い頃は、年賀に加えて暑中見舞いも出していた。春先にも出していた事からすると、近年の賀状離れは隔世の感がある。

 葉書がメールに変わり、コミュニケーションツールに変化が起きた。

 それでも、人と人との関係を続けていくことは、無くならないだろう。なぜなら、それは人の本能に根ざした行為だからだ。