「温故創新」211202 N958 伊波喜一

共生の 原点にある 誰のため 共に悩みて 共に伸びゆく

 師走に入って、日めくりカレンダーの重みが実感される。やることは一杯あるのに、先へ進まない。一日一日をどう過ごしてゆくか、カレンダーに問われているのかも知れない。

 コロナ下で先行きの見えない時代、相談する相手がいなくて悶々としている人が多い。生き方の基本には自助が欠かせないが、相談相手がいるかどうかで人生が大きく左右される。

  人は一人では生きてゆけない。誰かと関わって生きている。その相手に肯定的に受けとめられて初めて、自律の一歩がある。それは人に刻まれた、宿命ともいえる。

 自助を謳うのは簡単である。しかし、社会の現実は共助が得られない状況が横たわっている。互いの違いを認めることが出来ない社会で自助を求めることは、突き放すことと同じである。

 共助や公助というと、誰かから授かるものという印象が強い。しかし、真にインクルーシブな社会とは、決して「支える側」と「支えられる側」という一方通行の関係ではない。

 ある時は助けたり、ある時は助けられたりという、双方向の関わりをさす。共に悩みながら解決への道を図っていく。そこに、社会で生きる喜びもある。

 共助や公助の意味合いを、もう一度捉え直してゆくことが、今必要ではなかろうか。