「温故創新」210806 N840 伊波喜一

原爆の 悲惨さ綴る 76年 軍拡競争 愚かなるかな

 焼けるような暑さが続いている。第2次大戦当時も、このように暑い陽射しが降り注いでいた。 

 76年前の今日、広島に原爆が投下された。3日後の9日には、長崎に原爆が投下された。多大な犠牲を出した大戦を終結させるために、原爆を投下したと米国はコメントした。

 だが、空母を失い制空権を握られた日本に、一体どれほどの反撃が出来たというのだろうか。勝敗の結果はとうについていたにも拘らず、核兵器の開発を急がせ、その成果を試した。 

 この原爆による人体実験で広島と長崎は焼かれ、阿鼻叫喚の地獄図が現出した。広島は14万人(当時の人口は35万人)、長崎は7万4千人(当時の人口は24万人)が亡くなった。

 後遺症で悩む人々は、その比ではない。

 筆者は昨年、広島の原爆で家族を失った人の体験を、直接聞く機会があった。

 その方は被爆で皮膚が焼けただれ、その後遺症で今でも背中に膿が溜まる。その手当を、毎日しなければならない。

 齢88歳になり、残り少ない人生を核廃絶にかける執念に、心を揺すぶられた。淡々とした口調からは、全く恨み節が聞かれなかった。 

 だからこそ、未来を核なき社会に創り上げようとする姿勢を、唯一の被爆国である日本は、世界に発信してゆきたい。