「温故創新」210723 N826 伊波喜一

統合の 象徴として 天皇を 五輪開会 議論深めん   

 階段で猫が寝そべっている。日陰のせいでコンクリートが温まっていない分、涼しく感じるのだろう。人以上に、今夏の暑さは耐えがたいに違いない。 

 無観客でオリンピックが開幕した。統合の象徴である天皇が、開会宣言した。コロナ感染が収まらず、医療、経済の混乱が止まらない中での宣言に、戸惑いがあるのも事実である。

 開催のあり方をめぐっては、国論が二分されている。そういう状況で、陛下に開会宣言を依頼するのはいかがなものか、という島根県知事の発言は尊重されるべきであろう。 

 本来、五輪を開催するか否かは、国民の議論にかかっている。

 2020年東京五輪の誘致時点では、熱狂的な支持の元、東京での開催を勝ち取った経緯がある。

 ところが、コロナ下がこうも長く続くと、「実施より、中止!」の声が大きくなった。止めれば、これまでの準備と努力と投資が水泡に帰す。進むに進めず、引くに引けない状態となった。 

 この想定外の状況を変えるのは、天皇の一言ではない。責任を負うべきは、国民である。国民一人一人が判断し、その声を国政に届け、政治を変えていく以外に解決の道はない。

 それは、簡単に達成できるものではない。粘り強く声を上げる以外に、現状を変えることは出来ない。