「温故創新」210623 N796 伊波喜一

慰霊の日 先祖の犠牲 忘れるるな 平和の礎 24万             

 非常事態宣言明けの東京は空梅雨である。ブルーベリーの実がまだ熟していないが、この暑さでは急に色づくかもしれない。残り半分の網を週末にはかけよう。

 沖縄はとうに梅雨が明け、30℃を越している。76前の沖縄戦で、国内外の県民、軍人24万人以上が亡くなった。

 唯一の地上戦となった沖縄では、1945年3月から6月までの戦闘期間で膨大な犠牲を出した。上陸して攻めてきた米国人も、1万4千人強の犠牲者を出した。

 平和の礎は、戦後50年経った95年に建立された。多くの民間人犠牲者の調査が、それまでまともになされていなかった。そこで沖縄県は県民から調査員を10万人募り、全戦没者調査を実施した。

 碑銘には国籍、敵味方、軍民に関係なく、同じ大きさで戦没者の名前が刻まれている。

 これは世界的にも稀で、貴重な追悼施設と言われている。

 筆者の近親者も大勢、名前が刻まれている。そのほとんどが遺骨も見つからず、山野や土中に朽ちていった。祖父母は日曜日になると、激戦地の南部に足を運んでいた。

 また、生存への一縷の願いを託して、あちこちの孤児院を訪れていた。そして、疲れた足取りで帰ってきた。

 位牌に向かって語りかけていたあの姿が、忘れられない。