「温故創新」201207 N606 伊波喜一

効率を 追い求めても 幸せか 利他の生き方 共に栄えん      

 ブルーベリーの葉が、真っ赤に色づいている。自然の成す色合いは、どうしてこうも美しいのだろう。

  落葉するその間際まで完全燃焼する。だから、見る人の心を動かすのかも知れない。 

 AIやデータサイエンスに頼り切り、何でも出来るという万能感を持つようになったのが現代である。しかし、コロナ一つ治めることが出来ない。 

 コロナ禍で分かったことは、効率主義の幻想である。これまでは、時間で価値を判断してきた。コスパこそ最高の価値基準であった。

 しかし、その勢いで突っ走ってきた結果は、どうか。コスパがかえって、あだになってしまった。それはコスパの目指す方向が、自利的だったからである。 

 この世は、持ちつ持たれつである。社会的に成功し富を得ることもあれば、その逆もある。ある時は支え手になり、ある時は支えられる。世話をかけることもあれば、世話することもある。他者との関りでさえそうである。いわんや自らの人生をやである。 

 人は助け・助けられてしか生きられない。自ら得たものを独り占めせず、皆で分かち合ってこそ生きのびることが出来る。

 この利他的な生き方への転換と行為の必然を、地球規模で行うことをコロナは示唆している。