「温故創新」220420 N1025 伊波喜一

義父逝きて 初七日法要 過ぎ去りぬ 在りし日思わん 遺影微笑む    

 昨日の豪雨は凄かった。大量の雨が、数時間にわたって降り続いた。まるで、スコールのようだった。春の長雨という風情とは、ちょっと違うようだ。

 義父の葬儀が終わった。あっという間に、初七日が過ぎていったように感ずる。これから折りにふれて、在りし日の姿が思い出されることだろう。

 腹を抱えて笑うことが、ほとんどない人だった。滅多に笑顔を見せなかったが、はにかんだ時の恥ずかしそうな笑い方に義父の真っすぐな性格が表れていて、好ましかった。何せ、昭和一桁生まれである。思ったことを、上手に表すことが不得手だ。むしろ照れ隠しで、怒ったように表現することが多かった。

 しかし、孫達はそういう義父の性格を知っているので、慕っていた。オベンチャラを言えないが、自分の事を思って真っ正直に諭されたことが、無性に懐かしい。

 法要に用いられた写真では、義父が会心の笑みを浮かべている。喜びをストレートに出していて、邪気のない笑顔が印象的だった。焼香に来られた方々から異口同音に、「素敵な笑顔ですね」と声をかけられた。融通は利かなかったものの、愚直で働きものの義父。正しくないことには、一切媚びなかった義父。

 その義父の思いを、少しでも後世に伝えていければと思っている。

「温故創新」220409 N1024 伊波喜一

子ども等に 苦労させじと 働きて 職人の手よ 穏やかに逝く 

 朝から陽射しが強い。動くと汗が吹き出る。ところが、夜は冷える。小さいころ小児喘息で苦しんだが、この寒暖差で咳が出てくる。体が冷えたり疲れたりすると、喘息の初期症状のようになる。

 無理をするな、ということかも知れない。

 午後10時15分、義父の新徳が老衰のため亡くなった。91歳だった。誤嚥性肺炎で入院したものの熱が下がらず、退院できるかどうか気を揉んだ。

 持病や健康状態から判断し、自宅で看取ることを決断した。急ぎ、地域包括支援センターと連携を取った。上さんも義父の亡くなる2週間前から実家に戻り、受け入れの準備をした。

 その間、運よく熱も下がり、退院の許可が下りた。自宅での受け入れ手続きや人手の手筈が整い、義父が自宅に戻ったのが7日。それから自宅で一晩過ごし、翌日の夜に亡くなった。

 きっと、自宅に帰るのを待ちわびていたのだろう。自宅で子孫に囲まれて、周りの手を煩わせることなく静かに旅立った。

 職人だった父は、子ども達を厳しく躾けた。反面、子ども達に教育を受けさせた。当時は今とは比較出来ないぐらい、生活する事が大変だった。にもかかわらず、子どもの教育に力を入れて本当に立派だと思う。

 子ども達に将来の道を拓いた義父に、感謝が尽きない。

「温故創新」220407 N1023 伊波喜一

入学を 祝うかのよう 風に乗り 空を泳ぐや 桜舞い散り 

 微風に乗って、桜が舞っている。陽の暖かさに背中を押されて、ペダルを漕ぐ足も軽い。

 今日は中学校の入学式。体育館への入場を待つ新入生の辺り一面から、ざわめきが聞こえてくる。在校生達の着古した制服と比べ、一回りサイズの大きい服を身に纏う新入生達。緊張した姿が微笑ましい。

 中学3年間は、心身ともに大きく成長する時である。心も体も急速に伸びる半面、自身を制御できずに自暴自棄になる。自身のちっぽけさに比べて、他人の大きさが気になる年齢である。時には、打ちひしがれる思いにもなろう。

 古人は言った。「他人と自分を比べるより、昨日と今日の自分の歩みを比べよ」。ルーチンが積み重なると、大変な蓄積となる。1日では分からないが、1年も続ければ自身の変化に敏感になる。

 マエストロ小澤征爾は、毎朝数時間、スコアを読み込む。武者修行時代からの習慣を、今も続けている。地味で目立たないこの基礎基本に徹したからこそ、小澤のスタイルが確立された。

 小澤曰く「指揮者は細かいところに目が行く、因果な商売だ」。

 プロは細かいところに気を配り、神経を張り巡らせ、刹那の一瞬に全神経を注ぐ。だから、その一瞬に永遠の光が宿る。平凡の積み重ねは、非凡に達するのだ。

 新入生の皆さん、迷いながらもまず一歩踏み出してみよう。

「温故創新」220405 N1022伊波喜一

長雨に 桜並木が おぼろげに 幽玄の白 雨に消されて 

 一夜明けて、陽気が戻ってきた。長雨で桜の姿が霞んでいたが、今日は最高気温が9℃も高くなる。折角の桜が、散り急がないことを祈る。明日は小学校の入学式である。

 原材料の高騰に伴って、ガソリンが値上がりしている。レギュラー1㍑で、167円もする。満タンにしたら、8千円近くもした。

 パンも菓子も、全て値上がりしている。原材料を輸入に頼っている日本は、相手国の言い値でしか買えない。そのしわ寄せは全て、国民に負いかぶさってくる。

 ここのところ、地震が多い。昨晩も奇妙な揺れ方をしていた。地下の奥深くで揺れているのだろうか、足元が緩んでいくような奇妙さだ。地震の恐さは、倒壊被害だけではない。都会のような密集地で起これば、漏電から火災が引き起こされ、逃げ場を失う。

 生産拠点が直撃されたり、輸送ルートが破壊されれば物不足になる。

 一方で、日本だけでも食品ロスは570万㌧にのぼる。これは世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた食糧援助費の470万㌧の、1.4倍にもあたる。実に勿体ない。必要な人に分け与えることが、天命であろう。

 本当に必要な物は、限られている。地球資源の有限性を考えるなら、売らんかな・買わんかなの発想を改めて、上手にシェアすることが肝心であろう。

「温故創新」220404 N1021伊波喜一

年老いた 義父の介護で 妻帰る 在宅医療 猫の手借りん 

 一昨日から降り出した雨が、今朝も降り続いている。おまけに横なぐりの雨で、吹き飛んだ花びらが道路にへばり付いている。この分では、入学式まで持たないかも知れない。

 義父の体調が悪く、退院した後の看取り先を協議した。その結果、在宅で看取ることになった。かなり弱っているものの、時間の余裕がありそうである。ヘルパーさんの手を借りることになっているが、この分では回数を増やさなければならない。

 そうでないと、介護の最前線にいる身内から崩れてしまう。

 政府は、在宅介護での看取りを勧めている。高齢者でも特に後期高齢者は、病院で入院したままで看取ることが出来ない。家族で看取るためには、一度退院しなければならない。

 ホスピスなどはまだまだ数も少ないし、誰でも利用できるというものではない。だから、家族で看取ることを勧めているわけだ。

 しかし、核家族の現代は、圧倒的に人手が足りない。肝心の介護従事者は慢性的な人手不足なので、残された家族の両肩に責任が負いかぶさる。介護離職も、ますます増えるだろう。この状態が何カ月も続けば、家族は疲労の極みに達する。

 現在、税金から介護費用が引かれているが、微々たるものでしかない。本格的に在宅介護時代を迎えようというのなら、国民のコンセンサスを得て、財源を確保するべきではなかろうか。

「温故創新」220329 N1020伊波喜一

褐色の 幹も隠れん 櫻花 春を呼び出す 色鮮やかに     

 野火止沿いの桜が満開である。薄曇りの中、白い陰影がシルエットのように浮かんでくる。冬から春への変わり目を、これほど見事に表す花もないだろう。

 沖縄から北上してきた桜前線は、関東各地で花開かせ、東北地方を駆け上がる。先般、大きな地震があっただけに、東北の人々の目を楽しませ、心和ませることだろう。

 桜を育てるのは容易でない。樹液が豊富なため、アリや虫が集(たか)る。害虫も付きやすく、苔も付きやすい。枝の剪定も難しく、切りすぎると樹勢がなくなる。上手に切りながら、幹や枝全体に光が差すようにしていかなくてはならない。そうすることで葉の色つやが良くなり、幹も逞しく育つ。花も色鮮やかに咲くようになる。

 それにしても、桜にちなんだ言葉には風情がある。

 朝桜、桜雲(おううん)、花明かり、花霞、徒桜(あだざくら)、残桜(ざんおう)桜影(さくらかげ)、余花(よか)、観桜、花の宴など、想をかき立てられる。

 花嵐、花風、花曇り、花の雨など天候を表わす言葉もまた、風情を感じさせる。それだけ、桜が私達の日常と深く関わってきた証であろうか。

 桜前線は東北からさらに北上し、北海道で桜花爛漫の春を彩る。そして遅れて届いた桜を愛でると、季節は瞬く間に初夏へと移り変わる。

「温故創新」220325 N1019伊波喜一

パターン化を 避ける努力 常日頃 冷静沈着 資質高めん     

 昭和記念公園の桜が、真っ白な花びらを覗かせている。今年は梅の開花が一ヶ月近く遅れていたが、桜で軌道修正していくのかも知れない。季節の移り変わりは、通奏低音のように流れているようだ。   

 年度末は忙しい。えてして人は、多忙になると多角的思考が鈍り、多くの問題を処理することが苦手となる。処理順の軽重がつけられず、混乱する。また物事を、単眼で見がちとなる。

  本来1つの出来事は、多くの要因が関連している。その因数を分解していくには、単眼では埒が明かない。

 右か左かという単純思考ではなく、複眼的に対応していかなくてはならない。1つの対象にのみ注意を払っていては、迫りくる危機に対応できない。

 アングロサクソンゲルマン民族は、この感覚が優れている。日本人は、何かというと目の前の火の粉を払うのに全神経を集中させてしまう。熱しやすくて、冷めやすい典型とも言える。

 しかし、その場限りの熱量を高めるより、トータルでの熱量分散が必要だ。多角的に物事を捉える意味は、そこにある。

 平時から培ってきた思考や論理は、大事に継承していく。それが文化であり、一国の土壌を深く耕す契機となる。

 ウクライナ危機を一過性の出来事と捉えるのではなく、複眼的に物事を洞察してゆくことが不可欠であろう。